Я[大塩の乱 資料館]Я
2014.12.12

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「大塩の乱関係論文集」目次


『日本倫理彙編 巻之3』(抄)
その3

井上哲次郎(1856-1944)・ 蟹江義丸(1872-1904)共編

育成会  1901

◇禁転載◇

陽明学派の部 下 序説  (3)

管理人註
  

天保七年の春矢部駿河守転任して江戸勘定奉行となり、四月二十八日に至 りて跡部山城守之れに次いで大阪東町奉行に任ぜらる。山城守其器凡庸、 人を見るの明なく、遂に中斎をして乱をなさしむるに至れり。是れより先 き天保二三年の頃より気候不順にして五穀多く登らず。天保四年に至りて 遂に全国の大飢饉となれり。此れより引き続き年々不作にして、天保七年 に至り、更に一層甚しき大飢饉となり、其惨状最も甚しとなす。中斎之れ を傍観坐視するに忍びず。格之助をして、跡部山城守に見え、大に倉廩を 開いて窮民を救はんことを請はしむ。山城守之れに答ふるに、四五日を出 でざる内に、必ず施恤する所あらんことを以てせり。中斎大に之れを悦び、 指を屈して其時日の至るを竢ちしに、遷延弥久し、幾日を経るも遂に其事 なし。是を以て格之助をして其事を促さしむるも、亦其効力なし、因りて 復た格之助をして峻請せしむ。山城守之れに答ふるに、江戸へ多量の米穀 を回送すべき必要あるが故に、賑恤の挙は姑く之れを見合すべきの命ある を以てせり。中斎当路者の冷淡なる処置を慨すと雖も、復た之れを奈何と もすること能はず。因りて更に工夫を変へ、市中の豪商輩を説き、幾多の 金員を借り、以て窮民を救はんことを企図せり。然るに山城守 反りて之 を遮り、豪商輩をして中斎に金員を貸すこと勿らしむ。是に於て中斎大に 怒り、自ら救済する所あらんと欲し、一切の蔵書を売却せり、其部数一千 二百にして価六百五十両に上れり。乃ち一万枚の切手を製し、尽く之れを 窮民に施与せり。然るに山城守は中斎が此挙あるを聞き、直に格之助を召 して、私名を売らんが為めに猥りに窮民に施与したるものとして、大に譴 責を加へたりといふ。凡そ是等の事一々中斎を刺激し、遂に中斎をして乱 をなさしむるに至れり。


井上哲次郎
「大塩中斎」
その9














遷延
(せんえん)
のびのびに
なること




姑(しばら)く

当路者
(とうろしゃ)
重要な地位
にいる人


遮(さえぎ)り








猥(みだ)り


『日本倫理彙編 巻之3』(抄)目次/その2/その4

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