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天保七年の春矢部駿河守転任して江戸勘定奉行となり、四月二十八日に至
りて跡部山城守之れに次いで大阪東町奉行に任ぜらる。山城守其器凡庸、
人を見るの明なく、遂に中斎をして乱をなさしむるに至れり。是れより先
き天保二三年の頃より気候不順にして五穀多く登らず。天保四年に至りて
遂に全国の大飢饉となれり。此れより引き続き年々不作にして、天保七年
に至り、更に一層甚しき大飢饉となり、其惨状最も甚しとなす。中斎之れ
を傍観坐視するに忍びず。格之助をして、跡部山城守に見え、大に倉廩を
開いて窮民を救はんことを請はしむ。山城守之れに答ふるに、四五日を出
でざる内に、必ず施恤する所あらんことを以てせり。中斎大に之れを悦び、
指を屈して其時日の至るを竢ちしに、遷延弥久し、幾日を経るも遂に其事
なし。是を以て格之助をして其事を促さしむるも、亦其効力なし、因りて
復た格之助をして峻請せしむ。山城守之れに答ふるに、江戸へ多量の米穀
を回送すべき必要あるが故に、賑恤の挙は姑く之れを見合すべきの命ある
を以てせり。中斎当路者の冷淡なる処置を慨すと雖も、復た之れを奈何と
もすること能はず。因りて更に工夫を変へ、市中の豪商輩を説き、幾多の
金員を借り、以て窮民を救はんことを企図せり。然るに山城守 反りて之
を遮り、豪商輩をして中斎に金員を貸すこと勿らしむ。是に於て中斎大に
怒り、自ら救済する所あらんと欲し、一切の蔵書を売却せり、其部数一千
二百にして価六百五十両に上れり。乃ち一万枚の切手を製し、尽く之れを
窮民に施与せり。然るに山城守は中斎が此挙あるを聞き、直に格之助を召
して、私名を売らんが為めに猥りに窮民に施与したるものとして、大に譴
責を加へたりといふ。凡そ是等の事一々中斎を刺激し、遂に中斎をして乱
をなさしむるに至れり。
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井上哲次郎
「大塩中斎」
その9
遷延
(せんえん)
のびのびに
なること
姑(しばら)く
当路者
(とうろしゃ)
重要な地位
にいる人
遮(さえぎ)り
猥(みだ)り
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