「大塩の乱関係論文集」目次
大鐙閣 1920
◇禁転載◇
天保七年丙申先生四十四歳 (4) | |
天明以後ノ 大飢饉 |
是年二月以来霖雨止マズ、五六月ノ候冷気甚ダシク七八月暴風雨頻リニ至リ五穀熟ラズ、天下是ヨリ大ニ飢ユ、蓋シ天明以来ノ飢饉ト称セラル。
天保饑饉物語云 四年の飢饉より中二年を隔て、七年の夏は陰陽いよいよ順を失し、六七月に至れども陰雲四合、日光を見ること稀に、風気陰冷、人々皆冬衣を着し、扇を手にする日なし、六月廿一二日頃には処々白毛を降らす、長短斉しからざれども長さ二尺に余るもあり、馬毛に類せり、かゝる変異のことありしゆゑ、世人愈危ぶみ如何なる天災のあらんと案ぜしに、果して天下一般の大飢饉となりて、五穀みのらず、菜蔬菓物の類まで何一ツとして熟せるものなし、此歳も奥羽の災殊に甚しく、岩城の辺にては草木根芽はいふに及ばず、鶏犬猫牛馬の類まで食尽し、夜にまぎれ出で麦苗の一葉を生ぜしを抜取るもあり、桃生牡鹿の両郡は餓死せしもの幾千人にも及ぶべく、秋の末までは餓と呼びて泣き叫ぶ声を聞きしが、後には其声も絶たり、路傍に斃れし餓 |
甲州百姓一 揆起ル |
是年秋八月甲州都留郡八十余ケ村ノ百姓蜂起シ、一万八九千人甲府ニ迫リ、窮民ノ救済ヲ訴フ、官府許サズ暴民遂ニ豪戸ヲ襲フ、人心恟々タリ。 |
先生甲山ニ 登ル |
是年秋八月先生門人数輩ト共ニ六甲山ニ登リ、詩ヲ賦シテ胸中ノ欝陶ヲ遣ル。
天保丙申秋登甲山 二首 曾遊二十二年前。 林壑再尋依旧新。 今日思深似前海。 彷徨不独為詩篇。 人随無事酔明時。 柔脆心腸如女児。 却衝秋熱攀山険。 誰識独醒愼独知。
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「森林公園からの甲山」 「甲山中腹の神呪寺」
(大塩二郎氏撮影 2001.5、2001.6)
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