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さしづ かはかみ
白井孝右衛門は船頭の直吉に指揮をして船を上流へ漕ぎ出させましたが、
大阪は此火事の時に、船に荷物を積み込んで、避難をするものがございま
すから、川中を船でうろ/\として居ても、別に怪しむ者はございません、
併しいつまでも斯うしても居られませんから、互ひに落着く先きの相談を
したり、再会を約しなどして白井孝右衛門と杉山三平、其他三四人の者は
平八郎父子に別れを告げて、天神橋の辺りから上陸をいたしました。
此処で立別れた中に孝右衛門と三平は矢張り火事の避難者と見せて、天
神橋筋を南へ、松屋町を首尾よく通り越し、下寺町の堀留辺まで来てホツ
い
と息きを吐き、三平は白井孝右衛門に向ひ。
三『貴下のお世話で大塩先生のお屋敷へ住込み、また今日も斯うして大
勢の中から二人が一緒に逃げ出すと云ふのも、不思議でございます』
ほんと
孝『真個に然うだ、トキニ貴様は是れから、何処へ身を落付ける心算か
は知らぬが、私は仕方がないから、河内の伯父の処へ身を寄せやうと思ふ』
どのへん
三『貴下の其御親類と云ふのは河内の何辺で』
孝『渋川郡の大蓮寺村に、大蓮寺と云ふ寺がある、其処に居る先住の正
つもり
円、今は正方と云ふ老人が、私の為めには伯父だから、其寺へ行く心算だ、
ゆつ
貴様も其寺へ来て夫れから緩くりと身の振方を考へるが宜い』
三『ぢやアどうか、御供をさせて頂き度うございます』
と云ふので、二人は夜道を急いで、河内国渋川郡、大蓮寺村の大蓮寺と
云ふ寺へ着しましたのが、モウ彼是九ツ頃、今日で云ふと夜の十二時頃、
孝右衛門は門の戸をトン/\トン/\と叩きますと、寺男の佐助と云ふの
が。
佐『甚右さんですか、何かお忘れ物でもありますか』
と云ひながら、門の貫の木を外して居る、何故斯んな事を云ふのかと云
ふと、同村の甚右衛門と云ふ豪農の隠居が、老人の正方とは碁打友達で、
今夜も囲碁に来て居りましたが、今の先き帰つたばかりだから、其隠居が
忘れたものを、取りに戻つたのかと思つたものと見える。佐助は門を開い
て見ると、甚右衛門と思ひの外、二人の男が立つて居るから驚いて。
どちら
佐『オヤ、お前さん方は何方から』
孝『佐助どん、忘れたかい、私だ、守口の孝右衛門ぢや』
佐『ヤアこれは守口の旦那様、マア今時分に如何いふもので』
うち
と云ふ中に二人は寺内へ這入り、佐助は其跡の締りをして、隠居所の正
し そろ/\
方に其由を報らせますと、碁敵の友が帰つたので、徐々寝やうと思つて居
りました正方は、孝右衛門が来たと聞いて不審に思ひ。
正『今頃に来るとは不思議ぢや、此処へ通して呉れ』
かしこ
佐『畏まりました』
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幸田成友
『大塩平八郎』
その153
石崎東国
『大塩平八郎伝』
その121
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