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佐助は二人は離座敷の隠居所へ案内を致しますと。
さ
孝『どうも深更に参りまして、御造作を為せます、併しいつも御壮健で』
と
正『イヤ壮健と云つた処で、私もモウ七十二歳、年を老ると役に立たぬ
ぢやテ、連の衆があるやうぢやな』
孝『一人召連ました、伯父さん、夜中御迷惑でもございましようが、私
共二人に、お湯漬でも頂戴致したいもので』
いよい
来ると直ぐに飯の所望をするので、老人は愈よ不審を懐き。
正『コレ/\孝右、見る処が、何だかソワ/\として居るやうぢやが、
如何したのか』
と尋ねられて孝右衛門は、事実を語るも憂し、また語らぬのも憂し、暫
うつむ こゝろ
らくは俯首て居りましたが、意を定めて。
こんてう
孝『実は今朝、天満に出火がございましたので、日頃から懇意の大塩先
生の処へお見舞に駈け附けました、処が先生は窮民の大義とやらで、徒党
かどで よんどこ
を集め、今其首途と云ふ処でございましたから、拠ろなく一味に加はり
ました処が、忽ちにして敗北し、一同の者は捕方に追まくられ、私と是れ
に居りますは、杉山三平と申す者でございますが、命から/゛\逃げて参
まんま
りました、夫れゆえに今朝お飯を食つたなりで、誠に空腹でございまして
……』
正方は委細を聞いて打驚きながら、取敢ず両人に湯漬を喰はせますると、
イヤ食ふとも/\、大きな飯櫃に一杯あつた飯を、ペロリと平げて了ひま
した。
やつ
孝『有難う存じます、是れで漸と人心地が附きました』
正『考へて見ると、叔父甥と云ふのは私の事、当然から云へば、召連れ
訴へをせんければ相成らぬ』
孝『エツ』
ぼうず
正『サツ、マア聞かつしやれ、併し僧侶の身でもあり、肉親の間柄で、
そんな事も出来ない、全体これから如何するつもりぢや』
孝『実は姿を変へて身を隠さうかと存じますから、伯父さん、剃刀がご
ざいますならお貸し下さいまし、頭を剃つて僧侶に化けまする』
正『剃刀を貸せと云ふが、生憎剃刀は無い』
孝『夫れではどうか鋏を』
正『鋏なら有るが、切れるかどうだか』
と云ひながら鋏を取り出して、孝右衛門に渡しますと。
孝『有難う存んじます、三平、此鋏で私の髪を切つて呉れ』
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幸田成友
『大塩平八郎』
その153
石崎東国
『大塩平八郎伝』
その121
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