Я[大塩の乱 資料館]Я
2013.12.21

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「大塩の乱関係論文集」目次


『大塩平八郎』

その104

香川蓬洲

精華堂書店 1912

◇禁転載◇

第二十一席 (4)

管理人註
   

 『私も一つ頼みます』  『お前さんも風邪を引いたのかな』  『左様です』                   あるじ  と云つて剃らせて居りますと、床屋の主人が。                            うつ  『貴下方は何処へお出でになるのか知らないが、高野山へ迂かりと登 らうものなら、飛んでもない災難に遭ふかも知れませんぜ』       わざ ふところ  孝右衛門は態と懐中から、お経の巻物を出して読む真似をして居りまし たが、主人の言葉を聞いて。  『高野に往くと災難に遭ふとは、如何いふものかな』                              いくさ  『そりやア知りなさるまい、何でも昨日とか、大阪の方で、戦争がお つぱじまつて、其落武者が高野の御山へ、逃げ込むだらうと云ふので、此 村なんぞは街道でないからそんな事もねえけれど、高野街道の方は、大阪 から、お役人方が鵜の目鷹の目で、高野山へ登つて行くさうです、だから 他国の者で怪しまれでもすると、一寸来いを食らつて吟味をされる事は云 ふまでもねえ事だ、私も漸く今の先きに人から其話しを聞きましたのだ』  是れを聞いた二人は、胸にギツクリ、こりやア高野へは行かれない、能                      こ ゝ くマア此床屋へ立寄つた事だと思ひ、両人は此家を立出でましたが、扨行 くべき処がない、兎も角も京都には諸宗の本山も多く、寺院もまた沢山あ るから、一先づ京都へ行つて見やう、斯うして坊主にまでなつたのだから と、二人が相談をした上、道を転じ、北河内の枚方へ出て、此処から三十 石船に飛乗をして、伏見へ向ひました。                    ぼうず      やつ  白井孝右衛門と杉山三平は、頭を剃つて僧侶に身を窶し、伏見へ上陸す             そろ/\ るまでは何事もないから、叙々と京都の方へ行かうと、豊後橋を渡りかけ ました、処が伏見奉行加納遠江守の組同心二人は、数名の手先と共に、橋 詰の髪結床、また餅を売つて居る店などで、此落人等を召捕る為めに網を 張つて居りました。  今二人が豊後橋へさし掛る姿を見ると、一人は袈裟衣を着て居るが、衣 の下からチラチラと見える着物が、僧侶の着るものでない、今一人は矢張                 り縞の着物の上に袖の無い羽織を被て、腰衣とも見える前掛を纏つて居る、             たゝ 夫れに頭は剃つてから日が経ないから、青々として居るが、其剃つた痕が                        さかやき    まだ どうも怪して、髷のあつた者が俄に坊主になると、月代の色が斑らである から、直に夫れと知れる、偖こそ迂散なりと、ツカ/\と傍に立寄つた同 心の一人。  『コリヤ貴様は何だ』  『私は真言宗の僧で、是れから東寺へ帰る者で……』  『名は何と云ふ』  『エツ、名は……』  と云つたが、早速に名が出ない、同心は孝右衛門の姿に目を留めて見る と、衣の前の合せ方が違つて居る、真言宗の僧は、衣を左前に合して着て 居りますが、そんな事を知らないから、孝右衛門は、普通の着物と同じ事 に合して居りますから。


幸田成友
『大塩平八郎』
その153 

石崎東国
『大塩平八郎伝』
その121

『塩逆述』
巻之十二
その2−3


『大塩平八郎』目次/その103/その105

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