Я[大塩の乱 資料館]Я
2007.2.13

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「大塩の乱関係論文集」目次


『大 塩 平 八 郎 』 その162

幸田成友著(1873〜1954)

東亜堂書房 1910

◇禁転載◇


 第三章 乱魁
  八 末路 (14)
 改 訂 版


菊地鉄平
























平八郎自殺

























悲惨の極

追手の面々は搦手の固がつきたりと見るや、一同美吉屋宅へ乗込 んだ、鉄平は彦次郎から見世の出口を固めてくれろといはれ、一 人にて少々心細く思つて居る所へ、同役岡村桂蔵が密に跡を慕つ て来たので、これ幸と桂蔵と一緒に居て貰つた、五郎兵衛の女房 は同心から、謀を授けられ、吃驚しながら兎に角一同の先に立つ て庭口に入り、もし\/と声を懸くるや、小路次を明けて姿を現 したは平八郎其人である、彼は捕方を見るや、ハタと戸を建寄せ た、抜身の脇差のみが見える、捕方は一足進んだ、平八郎とも言 はるゝ者卑怯なりといふ小右衛門の声に応じ、唯今罷出るとの返 事があつた、入口の鉄平は同僚の路次口に詰寄せたるを見て、最 早表口に待つ要なしと、小路次を潜り、半棒振上げ正面の戸を叩 けバ、隙間より吹出すは焔硝の煙である、小右衛門・弥六・縫蔵 一同躍り込み、暫時の内に戸障子を打破つて屹度見渡せば、正面 障子の中に人の臥姿ある、之には衣類障子等を立掛け、既に充分 火が廻つて居る。平八郎は脇差を携へて壁際に彳んで居るが、火 の為に近寄れない、アハヤといふ間に、彼は脇差を取直して咽喉 を横に突立て、引抜いて投付けた、火は盛に燃上り、一同は我先 と路次口へ逃出した、搦手の人数は中央に逃路を開き、両側に並 んで待つて居つたが、余に手間取れるので、讃太郎・勇之助・正 五郎三人戸口へ来て透見をすると、炎の中に坊主頭がチラ\/見 える、扨は父子自滅と一同進んで漸く戸口を打壊し、責て死骸な りと引出したしと苛つたが、最早火気熾にして如何とも仕難く、 彦次郎の言葉に従ひ火消人足に任せて引き下つた。 前夜から火消人足を準備した事とて火は間もなく消止め得た、重 合つてゐる焼材を段々に取除けると、平八郎は咽喉を突いて打伏 になり、格之助は胸を貫かれて居る、「自殺の体でハなく、平八 郎にでも殺されたかと思ふやうに存じました」と、史談会速記録 にあるのは、卑怯々々といふ平八郎の声がしたといふ伝説に能く 符合する、消防頭の吉兵衛が死骸を引出し、大勢立会の上見分を 済せ、美吉屋の向側の医師三宅某から駕籠二挺を徴発し、之に平 八郎父子の死骸を載せ、五郎兵衛夫婦と共に高原溜へ送つた、沿 道の見物人は山を為す計である、当時の官之助今の克復翁の談話 に、平八郎は「首が脹れ上て肩と一様になつて、頭の無い人かと 思つた、蛙の様なもので、上に引上げて見ました時は脹も引て、 面体鮮かに分つて居る、彦次郎は始めに見留ました時、其投出し た脇差は年来同僚で有た故、見覚への有るものでございました、 格之助は反ツ歯でござりまして、夫れも其歯をムキ出して居りま した」とある、酸鼻の極と言はねばならぬ。

 追手の面々は搦手の固がついたと見るや、一同美吉屋宅へ乗込 んだ。鉄平は彦次郎から見世の出口を固めてくれよと言はれ、一 人で少々心細く思つて居る所へ、同役岡村桂蔵が密に跡を慕つて 来たので、これ幸と桂蔵と二人で固めた。五郎兵衛の女房は同心 から、かく\/言へと教へられ、怖々しながら一同の先に立つて 庭口に入り、もし\/と声を懸けるや、小路次を開けて姿を見せ たは平八郎その人であつた。然し彼は捕方を見るや、ハタと戸を 引寄せた。小右衛門は一足進み、平八郎とも言はるゝ者卑怯なり といふ声に応じ、唯今罷出づるとの返事があつた。入口の鉄平は 同僚の路次口に詰寄せたのを見て、最早表口に待つ要なしと、小 路次を潜り、半棒を振上げて正面の戸を叩けば、隙間から焔硝の 煙が吹出す、小右衛門・弥六・縫蔵・同心一同躍り込み、雨戸障                ネスガタ 子を打破つて見ると、正面に人の臥姿あり、衣類障子等を立掛け、 既に充分火が廻つて居る。平八郎が脇差を携へて壁際に彳んで居 るのは見えるが、火炎の為に近寄れない。アハヤといふ間に、彼 は脇差を取直して咽喉を横に突立て、引抜いて投付けた。火は盛 んに燃上り、一同は我先と路次口へ逃出した。搦手の人数は中央 に逃路を開き、両側に並んで待つて居たが、余に手間取れるので、 讃太郎・勇之助・正五郎三人戸口へ来て透見をすると、炎の中に 坊主頭がチラ\/見える。扨は父子自滅と一同進んで漸く戸口を 打壊し、責めて死骸なりと引出したしと苛立つたが、最早火気熾 にして如何とも仕難く、彦次郎の言葉に従ひ火消人足に任せて引 下つた。  前夜から火消人足を準備した事とて火は間もなく消止め得た、 重合つている焼木材を段々に取除けると、平八郎は咽喉を突いて 打伏になり、格之助は胸を貫かれて居る、当時の官之助後の克復 翁の談話に、「自殺の体ではなく、平八郎にでも殺されたかと思 ふやうに存じました」とあるのは、卑怯々々といふ平八郎の声が したといふ伝説に能く符合する。消防頭の吉兵衛が死骸を引出し、 大勢立会の上見分を済ませ、美吉屋の向側の医師三宅某から駕籠 二挺を徴発し、之に平八郎父子の死骸を載せ、五郎兵衛夫婦と共 に高原溜へ送つた。沿道の見物人は山を為す計である、尚克復翁 の談話に、平八郎の死骸は首が脹れ上つて肩と一様になつて、頭 の無い人かと思つた。トンと蛙の様なもので、外に引出して見ま した時は脹も退いて、面体が鮮かに分つた、平八郎が投出した脇 差は彦次郎に見覚えの有るもので、また格之助は元来反ツ歯で、 その歯をムキ出して居りましたとある。酸鼻の極と言はねばなら ぬ。


    平八郎父子捕縛の一條は捕縛に出張した土井家々臣の書上 による。別紙の絵図は右書上中にあるが、本文と対照する と多少齟齬する点あり、図そのものも不十分な点がある。 例へば本文には一再ならず二番弥六三番縫蔵とあるに、図 には縫蔵が二番弥六が三番になつて居り、平八郎が投付け た脇差の位置も示されてゐない。搦手に待つてゐた勇之助 等四人の名は赤丸の左上部でなく右下部に書くのが妥当で あらう。小右衛門等と平八郎との言葉争三度、また同心と 平八郎との言葉争のことは本文に記されてゐるが、果して そんな余裕があつたか。関弥右衛門は弥次右衛門、岡村桂 蔵は岡野の衍であらう。


中瀬寿一他「『鷹見泉石日記』にみる大塩事件像」その6
〔今井克復談話〕その6


「大塩平八郎」目次4/ その161/その163

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