菊地鉄平
平八郎自殺
悲惨の極
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追手の面々は搦手の固がつきたりと見るや、一同美吉屋宅へ乗込
んだ、鉄平は彦次郎から見世の出口を固めてくれろといはれ、一
人にて少々心細く思つて居る所へ、同役岡村桂蔵が密に跡を慕つ
て来たので、これ幸と桂蔵と一緒に居て貰つた、五郎兵衛の女房
は同心から、謀を授けられ、吃驚しながら兎に角一同の先に立つ
て庭口に入り、もし\/と声を懸くるや、小路次を明けて姿を現
したは平八郎其人である、彼は捕方を見るや、ハタと戸を建寄せ
た、抜身の脇差のみが見える、捕方は一足進んだ、平八郎とも言
はるゝ者卑怯なりといふ小右衛門の声に応じ、唯今罷出るとの返
事があつた、入口の鉄平は同僚の路次口に詰寄せたるを見て、最
早表口に待つ要なしと、小路次を潜り、半棒振上げ正面の戸を叩
けバ、隙間より吹出すは焔硝の煙である、小右衛門・弥六・縫蔵
一同躍り込み、暫時の内に戸障子を打破つて屹度見渡せば、正面
障子の中に人の臥姿ある、之には衣類障子等を立掛け、既に充分
火が廻つて居る。平八郎は脇差を携へて壁際に彳んで居るが、火
の為に近寄れない、アハヤといふ間に、彼は脇差を取直して咽喉
を横に突立て、引抜いて投付けた、火は盛に燃上り、一同は我先
と路次口へ逃出した、搦手の人数は中央に逃路を開き、両側に並
んで待つて居つたが、余に手間取れるので、讃太郎・勇之助・正
五郎三人戸口へ来て透見をすると、炎の中に坊主頭がチラ\/見
える、扨は父子自滅と一同進んで漸く戸口を打壊し、責て死骸な
りと引出したしと苛つたが、最早火気熾にして如何とも仕難く、
彦次郎の言葉に従ひ火消人足に任せて引き下つた。
前夜から火消人足を準備した事とて火は間もなく消止め得た、重
合つてゐる焼材を段々に取除けると、平八郎は咽喉を突いて打伏
になり、格之助は胸を貫かれて居る、「自殺の体でハなく、平八
郎にでも殺されたかと思ふやうに存じました」と、史談会速記録
にあるのは、卑怯々々といふ平八郎の声がしたといふ伝説に能く
符合する、消防頭の吉兵衛が死骸を引出し、大勢立会の上見分を
済せ、美吉屋の向側の医師三宅某から駕籠二挺を徴発し、之に平
八郎父子の死骸を載せ、五郎兵衛夫婦と共に高原溜へ送つた、沿
道の見物人は山を為す計である、当時の官之助今の克復翁の談話
に、平八郎は「首が脹れ上て肩と一様になつて、頭の無い人かと
思つた、蛙の様なもので、上に引上げて見ました時は脹も引て、
面体鮮かに分つて居る、彦次郎は始めに見留ました時、其投出し
た脇差は年来同僚で有た故、見覚への有るものでございました、
格之助は反ツ歯でござりまして、夫れも其歯をムキ出して居りま
した」とある、酸鼻の極と言はねばならぬ。
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追手の面々は搦手の固がついたと見るや、一同美吉屋宅へ乗込
んだ。鉄平は彦次郎から見世の出口を固めてくれよと言はれ、一
人で少々心細く思つて居る所へ、同役岡村桂蔵が密に跡を慕つて
来たので、これ幸と桂蔵と二人で固めた。五郎兵衛の女房は同心
から、かく\/言へと教へられ、怖々しながら一同の先に立つて
庭口に入り、もし\/と声を懸けるや、小路次を開けて姿を見せ
たは平八郎その人であつた。然し彼は捕方を見るや、ハタと戸を
引寄せた。小右衛門は一足進み、平八郎とも言はるゝ者卑怯なり
といふ声に応じ、唯今罷出づるとの返事があつた。入口の鉄平は
同僚の路次口に詰寄せたのを見て、最早表口に待つ要なしと、小
路次を潜り、半棒を振上げて正面の戸を叩けば、隙間から焔硝の
煙が吹出す、小右衛門・弥六・縫蔵・同心一同躍り込み、雨戸障
ネスガタ
子を打破つて見ると、正面に人の臥姿あり、衣類障子等を立掛け、
既に充分火が廻つて居る。平八郎が脇差を携へて壁際に彳んで居
るのは見えるが、火炎の為に近寄れない。アハヤといふ間に、彼
は脇差を取直して咽喉を横に突立て、引抜いて投付けた。火は盛
んに燃上り、一同は我先と路次口へ逃出した。搦手の人数は中央
に逃路を開き、両側に並んで待つて居たが、余に手間取れるので、
讃太郎・勇之助・正五郎三人戸口へ来て透見をすると、炎の中に
坊主頭がチラ\/見える。扨は父子自滅と一同進んで漸く戸口を
打壊し、責めて死骸なりと引出したしと苛立つたが、最早火気熾
にして如何とも仕難く、彦次郎の言葉に従ひ火消人足に任せて引
下つた。
前夜から火消人足を準備した事とて火は間もなく消止め得た、
重合つている焼木材を段々に取除けると、平八郎は咽喉を突いて
打伏になり、格之助は胸を貫かれて居る、当時の官之助後の克復
翁の談話に、「自殺の体ではなく、平八郎にでも殺されたかと思
ふやうに存じました」とあるのは、卑怯々々といふ平八郎の声が
したといふ伝説に能く符合する。消防頭の吉兵衛が死骸を引出し、
大勢立会の上見分を済ませ、美吉屋の向側の医師三宅某から駕籠
二挺を徴発し、之に平八郎父子の死骸を載せ、五郎兵衛夫婦と共
に高原溜へ送つた。沿道の見物人は山を為す計である、尚克復翁
の談話に、平八郎の死骸は首が脹れ上つて肩と一様になつて、頭
の無い人かと思つた。トンと蛙の様なもので、外に引出して見ま
した時は脹も退いて、面体が鮮かに分つた、平八郎が投出した脇
差は彦次郎に見覚えの有るもので、また格之助は元来反ツ歯で、
その歯をムキ出して居りましたとある。酸鼻の極と言はねばなら
ぬ。
平八郎父子捕縛の一條は捕縛に出張した土井家々臣の書上
による。別紙の絵図は右書上中にあるが、本文と対照する
と多少齟齬する点あり、図そのものも不十分な点がある。
例へば本文には一再ならず二番弥六三番縫蔵とあるに、図
には縫蔵が二番弥六が三番になつて居り、平八郎が投付け
た脇差の位置も示されてゐない。搦手に待つてゐた勇之助
等四人の名は赤丸の左上部でなく右下部に書くのが妥当で
あらう。小右衛門等と平八郎との言葉争三度、また同心と
平八郎との言葉争のことは本文に記されてゐるが、果して
そんな余裕があつたか。関弥右衛門は弥次右衛門、岡村桂
蔵は岡野の衍であらう。
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