Я[大塩の乱 資料館]Я
2013.11.3

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「大塩の乱関係論文集」目次


『大塩平八郎』

その66

香川蓬洲

精華堂書店 1912

◇禁転載◇

第十三席 (4)

管理人註
   

 『モシ旦那様、弁当を喰はないでは仕事が』  『夫れは心配をいたすな、三度の食事は、勿論此方で喰はせる』  是を聞いて四人の者は安心をいたしました、是れから平八郎は職人等を、                               くだん 日当りの好い明かるい一室へ連れて行きまして、職場と定め、其上で件の                    うち 版下書を渡し、其一室の出入口には同志の中の者が、交代で張り番をして       はゞかり            うしろ 居りまして、便所に行く時にも、後から従いて行き、時分時になると其一           くは                   ど う 室へ食物を運んで飯を食せますが、決して酒は飲ませません、イヤ如何に も実に其窮屈な事と云つたら堪りません、尤も今日での六時頃から掛らせ まして、夜の十一時頃まで仕事を致させますので、四人の者も早く帰り度                        てう いから、勉強をしましたので、思つたよりも早く、恰ど四日目に彫上りま                                 およそ した、そこで職人は素より、同志の者も襷掛けになつて摺りにかゝり、約 二万枚ばかりを摺上げました、次郎兵衛等四人の者へは改めて酒を飲せ、       もてな 立派な膳部で待遇しました上、賃金の外に夫々慰労金とでも申しませうか、 別に金子を与へましたので、四人は大喜び、早く帰つて妻子の者をも喜ば さうと思つて。           いろ/\  『旦那様、どうも種々と有難う存じまする、モウ引取りましても宜しうございますか』                           やしき  『イヤ/\、まだ帰す事は相成らぬ、モウ一両日は此邸宅に居て貰ひ たい』  と云つて四人の者を引止めて置き、其印刷したものを恰ど状袋のやうな、 長方形の紫色の袋に入れまして、其袋の裏の処へ。  『天より被下候』  と肩書にいたし、真中へは。 『村々小前のものに至る迄』                     ゆは  と書き認めまして、伊勢大神宮の御祓ひに結ひ付け、是らから予て斯う いふと云ふ時に使ふ為めに、手なづけてありました処の人夫、是れは重に 般若寺村の名主、橋本忠兵衛の配下の百姓等で、密かに摂津、和泉、河内、            まきちら 或は播州地方の各村落へ撒布させましたが、誰あつて是れを大塩平八郎と 云ふ事は存じませんでした。


石崎東国
『大塩平八郎伝』
その110

幸田成友
『大塩平八郎』
その110

大塩檄文


『大塩平八郎』目次/その65/その67

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