Я[大塩の乱 資料館]Я
2013.11.22

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「大塩の乱関係論文集」目次


『大塩平八郎』

その77

香川蓬洲

精華堂書店 1912

◇禁転載◇

第十六席 (1)

管理人註
   

                   たゝず  此方は岡田良之進、大塩の邸宅の裏手に彳み、主人の身の上を案じて居         うち りますと、屋敷の中にて三四人の者が。  『軍人への血祭り、宇都木矩之允を討取つたり』  と云ふ声が洩れ聞えましたから、ハツと許りに気も転倒、思はず刀の柄                     をど       あだ に手を掛けて足踏みし、裏の切戸を押破つて躍り込み、主人の仇を報はん           まて      あ と思ひましたが、イヤ待暫し、彼れ程にまで仰せられし主人の言葉、殊に         てがみ お渡しなされたお書状には、如何なる事の書認めてあるかも知れないから、            つた 今此屋敷に駈入つて、運拙なく、我一命を棄つる時には、此手紙をお届け 申す事が出来ない、と云つて此儘立去るのも残念至極と、千々に心を痛め て居る処へ、帯刀したる二三人の若者が、此方をさして出て来る様子、見 咎められては面倒と思ひまして、其処を立去り、其儘其夜、淀川堤の守口 まで参り、此処から上り船の三十石に飛乗りを致し、伏見で上陸すると昼                ゆき 夜兼行で、江州彦根をさして急ぎ行ました、一寸此処で矩之允が認めまし たる、書状の文面を申し上げまする。            けんわ   一筆認め残し申候、暄和の節に相成候へども、御両親様、尊兄様、姉   上様、御一統様、御揃ひ御機嫌よく御座なさせられべく、恐悦奉り候、   然れば私儀、先達て小倉表より申上げ候通り、雨天続きに候へども、   日積りの如く十八日、大阪安治川に着船仕つり、先年、師弟の契約仕   つり候、天満与力大塩平八郎方へ立寄り、久々にて面会仕つり候処、   如何なる天魔の魅入候哉、平八郎存外の企て之れあり、大阪町奉行を   討取り、其上市中へ放火を致し、君を誅し、民を弔ふなどゝ、全く謀   叛の企てに、私に荷担致すべき旨強て申聞け候間、種々諌言いたし候   へども、申し出せし事返さぬ気象ゆえ、容易にては承知仕る間敷くと   存じ候、併し私も此儘見捨て帰り候ふては、武士の道相立ず、其上斯                             いか   くの如き大望を打明し候ふ平八郎に候へば、私不承知の上は生して帰   し申すまじく、然しながら加担致し候へば、万一御家の御名を穢し、                            よんどこ   忠孝の道に背き、師を見捨て候へば、義相立申さず候、拠ろなく一命   を差出し、今夜平八郎を始め、徒党の者へ篤と理解を申聞け、忠孝相   立候ふやう仕り度く存じ奉り候ふ間、何卒重々恐れ入り候儀とは存じ                    とりなし   奉り候へども、御前へ万端よろしく御執成願ひ奉り候、是れまで重々   厚き御慈悲を蒙り、私帰国も程なき儀と、御待下され候儀と存じ奉り          ぼう   候、尚また故郷忘じ難き事、未練の者と思召しも恥入り候仕合せに候   へども、斯かる時節参り候ふは、武運尽き候儀と存じ奉つり候、様子   つぶ   具さに相認め申上げ度くと存じ候へども、何れ即日御地へも相分り申   すべく候ふと存じ、認め申さず候、大阪に騒動相起り候と御承知下さ   れ候へば、矩之允相果候ふと思召し下さるべく候、最早時刻と相成り、   心急ぎ候まゝ荒増御名残までに申上げ候、余は心中御察し下され候、   且つまた此使を命じ候、良之進と申す者は、先達て申上げ置き候、長   崎表岡田道玄の忰に御座候へば、委細は同人よりも御聞取下され度く   候、以上    二月十八日           矩之允   御一統様                            あたら      もの  書状の文言は此通りでございます、矩之允は当年廿九歳、可惜盛りの武 のふ 士を無常の風に散らしたのは、実に惜むべき事で、ございます。



石崎東国
『大塩平八郎伝』
その113

森 繁夫
「宇津木静区と
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暄和
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