Я[大塩の乱 資料館]Я
2013.12.16

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「大塩の乱関係論文集」目次


『大塩平八郎』

その99

香川蓬洲

精華堂書店 1912

◇禁転載◇

第二十席 (4)

管理人註
   

 扨また十九日の騒動の最中、橋本忠兵衛は、コリヤ所詮意を遂ぐる事は 出来ないと見て取りましたので、大塩平八郎の傍に立寄つて、小声になり。  『如何も今日の戦ひは味方に利がないやうに思はれる、就ては伊丹に           隠してある弓太郎、後れを万一にも役人の為めに捕はれては人質も同様、 貴公は何と思召すか』  と尋ねました。  平八郎もかゝる場合、考へて見る弓太郎の事も案じられるから。  『弓太郎を敵の手に渡すやうな事があつては、如何にも残念ぢや』  『私は此場を何とかして切抜け、伊丹へ往つて、弓太郎なり、其他の            しるべ        のか 女を私が連れて、京都の知己の方へ立退せる事にしやうと思ふ、如何も伊       あや 丹に置くのは危ぶく思はれる』  忠兵衛は、其実此場を逃げ度く思ふ心が出たので、平八郎へ斯ういふ事        うま を云つて見た、旨い事を云ひました、平八郎もこりやア忠兵衛が逃げ支度            かも知れないと、気は注きましたが、忠兵衛の云ふ如く、中山から多田の 方へ行つて居ると云はせてあるから、伊丹とは少し方角が違ふとは云ふも のゝ、危ないと思ひましたから。  『貴公一人居らぬからと云つて、別に差支はないから伊丹の方へ往つ       て貰はう、而してゆうにもみねにも能く言聞せ、吾々親子も自滅の覚悟で             いだ あるから、二人とも未練の出さず、自殺をするやうに勧めて貰ひたい、是 れは平八郎が万一の時の遺言であるから』           いよい      きま  『承知いたした、愈よ敗北と事が極つたら、万事は此忠兵衛が胸にあ る、必ずお案じなさるな』       うち  と云つてる中に、また向ふで戦ひが始まつたので、忠兵衛は其儘逃げ出 しましたが、其時にはまだ町奉行の方では、落行く者を捕へる処の騒ぎで                たやす ないから、忠兵衛は思つたよりも容易く、一旦般若寺村の自分の家に帰つ        うち て見ると、モウ宅には誰れも居りませんが、日頃出入をする大工の作兵衛 と云ふのが留守を預つて居りましたので、其作兵衛を供に連れ、自分も手          かね 早に衣服を着替へ、予て貯へてある処の金子を取出し、伊丹をさして赴き ましたのが、十九日の暮過ぎでございます。


幸田成友
『大塩平八郎』
その156 

石崎東国
『大塩平八郎伝』
その93


『大塩平八郎』目次/その98/その100

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