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扨また十九日の騒動の最中、橋本忠兵衛は、コリヤ所詮意を遂ぐる事は
出来ないと見て取りましたので、大塩平八郎の傍に立寄つて、小声になり。
忠『如何も今日の戦ひは味方に利がないやうに思はれる、就ては伊丹に
あ
隠してある弓太郎、後れを万一にも役人の為めに捕はれては人質も同様、
貴公は何と思召すか』
と尋ねました。
平八郎もかゝる場合、考へて見る弓太郎の事も案じられるから。
平『弓太郎を敵の手に渡すやうな事があつては、如何にも残念ぢや』
忠『私は此場を何とかして切抜け、伊丹へ往つて、弓太郎なり、其他の
しるべ のか
女を私が連れて、京都の知己の方へ立退せる事にしやうと思ふ、如何も伊
あや
丹に置くのは危ぶく思はれる』
忠兵衛は、其実此場を逃げ度く思ふ心が出たので、平八郎へ斯ういふ事
うま
を云つて見た、旨い事を云ひました、平八郎もこりやア忠兵衛が逃げ支度
つ
かも知れないと、気は注きましたが、忠兵衛の云ふ如く、中山から多田の
方へ行つて居ると云はせてあるから、伊丹とは少し方角が違ふとは云ふも
のゝ、危ないと思ひましたから。
平『貴公一人居らぬからと云つて、別に差支はないから伊丹の方へ往つ
そ
て貰はう、而してゆうにもみねにも能く言聞せ、吾々親子も自滅の覚悟で
いだ
あるから、二人とも未練の出さず、自殺をするやうに勧めて貰ひたい、是
れは平八郎が万一の時の遺言であるから』
いよい きま
忠『承知いたした、愈よ敗北と事が極つたら、万事は此忠兵衛が胸にあ
る、必ずお案じなさるな』
うち
と云つてる中に、また向ふで戦ひが始まつたので、忠兵衛は其儘逃げ出
しましたが、其時にはまだ町奉行の方では、落行く者を捕へる処の騒ぎで
たやす
ないから、忠兵衛は思つたよりも容易く、一旦般若寺村の自分の家に帰つ
うち
て見ると、モウ宅には誰れも居りませんが、日頃出入をする大工の作兵衛
と云ふのが留守を預つて居りましたので、其作兵衛を供に連れ、自分も手
かね
早に衣服を着替へ、予て貯へてある処の金子を取出し、伊丹をさして赴き
ましたのが、十九日の暮過ぎでございます。
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幸田成友
『大塩平八郎』
その156
石崎東国
『大塩平八郎伝』
その93
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