Я[大塩の乱 資料館]Я
2007.2.6 玄関へ

「大塩の乱関係論文集」目次


『大 塩 平 八 郎 』 その161

幸田成友著(1873〜1954)

東亜堂書房 1910

◇禁転載◇


 第三章 乱魁
  八 末路 (13)
 改 訂 版


召捕方











岡野小右衛門

其処で、城代側でハ家臣岡野小右衛門・菊地鉄平・芹沢啓次郎・ 松高縫蔵・安立讃太郎・遠山勇之助・斎藤正五郎・菊地弥六以上 八人を召捕方とし、、大目付時田肇を取締として差向けることに 決し、三月廿六日夜四ッ半時頃一同中屋敷に集つて召捕方の打合 に及び、肇より一同へ平八郎父子隠家の様子を委細に認めたる書 類を渡し、御城代にハ成るべく生捕にしたしとの御意見であると 伝へたので、然らば半棒をお渡しありたしと請求し、銘々之を受 取つた、其時小右衛門の言ふには、平八郎父子の隠家は定て入口 も狭く、一人づゝならでは進み難かるべく、予め鬮にて順番を極 め置き、争なきやう致したしとあるので、一同御尤と答ふるや、 折返して、各位は壮年の身、下拙は五十歳に相成り、既に忰もこ れあり、只今までの御厚恩報うるに途なく、幸ひ此度御人撰に与 りたる上は、第一番に進み、生命を捨て度覚悟故、御聞入うりた しと言ふので一同拠なく承知し、二番から八番までの鬮を引き、 肇は取締の事とて最初から九番と極めた。 廿七日暁家老鷹見十郎左衛門は小右衛門・鉄平・啓次郎三名を呼 び、与力内山彦次郎を引合せ、諸事彦次郎の案内を聞くやうにと の申渡あり、又彦次郎からも私及同心は御先へ参り候へば、案内 次第御出張ありたしと言はれ、承知の上引下り、只管合図を待つ てゐると、十郎左衛門の取計で彦次郎に付添つて行つた部屋目附 鳥巣彦四郎が七ッ半時過に帰り、イザといふので九人の面々は同 人を先に立て、一旦本町五丁目の会所へ赴き、更に信濃町の会所 へ着いた、彦次郎並に西組同心四人浪華緑林に藤野織右衛門・河 合善八郎・笠崎次右衛門・佐川豊左衛門とあれど、笠崎次右衛門 の名役人鑑に見えず一行を迎へて美吉屋方の絵図を示し、庭口よ り進むを追手、裏口抜道の方を搦手と定め、五郎兵衛女房をして、 主人町預りの身分とて、家財改の為只今役人出張ありたれば、暫 時裏口の方へ逃げたまはれと、平八郎父子に言はしめ、彼等の出 づるを待つて召捕ることゝし、彦次郎・同心二人・小右衛門・弥 六・縫蔵・鉄平都合七人は追手に、同心二人・勇之助・讃太郎・ 啓次郎・正五郎・肇都合七人は搦手に向ふに決し、六ッ半時頃美 吉屋へ向つて進んだ、此時美吉屋の周囲は総年寄今井官之助・比 田小伝次・永瀬七三郎三名指図の下に、多数の火消人足が火消道 具を携へて取囲んでゐる、之は平八郎父子が火を放ちはせぬかと いふ恐があつた為である。

 大塩父子召捕方として、城代側では家臣岡野小右衛門・菊地鉄 平・芹沢啓次郎・松高縫蔵・安立讃太郎・遠山勇之助・斎藤昭五 郎・菊地弥六以上八人を、また取締として大目付時田肇を差向け ることに決し、三月廿六日夜四ッ半時頃一同中屋敷に寄つて打合 に及び、肇から一同へ平八郎父子隠家の様子を委細に認めた書類 を渡し、御城代には成るべく生捕にしたしとの御意見であると伝 へたので、然らば半棒をお渡しありたしと請求し、銘々之を受取 つた。その時小右衛門の言ふには、平八郎父子の隠家は定めて入 口も狭く、一人づつならでは進み難かるべく、予め鬮にて順番を 極め争なきやう致したしとあるので、一同御尤と答ふるや、折返 して、各位は壮年の身、拙者は五十歳に相成り、既に忰もこれあ り、只今までの御厚恩報うるに途なく、幸ひ今度御人撰に与つた 上は、第一番に進み、生命を捨てて御奉公致したしと言ふので一 同拠なく承知し、二番から八番までの鬮を引き、肇は取締の事と て最初から九番と極めた。  廿七日暁家老鷹見十郎左衛門号泉右、渡連崋山の描いた泉石の 肖像画は頗る有名であるは小右衛門・鉄平・啓次郎三名を呼び、 与力内山彦次郎を引合せ、諸事彦次郎の案内を受けるやうにと申 渡し、彦次郎からも私及び同心共は御先へ参り申すべく、案内次 第御出張ありたしと言はれ、承知の上引下り、只管合図を待つて ゐると、十郎左衛門の指図で彦次郎に附添つて行つた部屋目付鳥 巣彦四郎が七ッ半時過に帰り、イザといふので九人の面々は同人 を先に立て、一旦本町五丁目の会所へ赴き、更に信濃町の会所へ 着いた。彦次郎並びに西組同心四人藤野織右衛門・河合善八郎・ 関弥次右衛門・佐川豊左衛門は一行を迎へて美吉屋方の絵図を示 し、庭口より進むを追手、裏口抜道の方を搦手と定め、五郎兵衛 女房わして、主人町預りの身分とて、家財改めのため只今役人出 張ありたれば、暫時裏口の方へ逃げたまはれと、平八郎父子に言 はしめ、彼等の出づるを待つて召捕ることとし、彦次郎・同心二 人・小右衛門・弥六・縫蔵・鉄平都合七人は追手に、同心二人・ 勇之助・讃太郎・啓次郎・正五郎・肇都合七人は搦手に向ふに決 し、六ッ半時頃美吉屋へ向つた。さうして美吉屋の周囲は総年寄 今井官之助・同比田小伝次・同永瀬七三郎三名指図の下に、多数 の火消人足が火消道具を携へて取囲んだ。之は平八郎父子が火を 放ちはせぬかといふ恐があつた為である。


中瀬寿一他「『鷹見泉石日記』にみる大塩事件像」その6


「大塩平八郎」目次4/ その160/その162

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