高井山城
大坂町奉
行となる
鶏を割く
に半刀を
用ふるに
似たり
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平八は此の精神を以つて、其の司る所の吏務に鞅掌したりしも、其の期する
ところは遥に高く、遥に大なりしなり、聖賢を以つて其の期図をなしたる平
八が、此の如き一小府吏として罪囚を懲治するの、一小吏務に役々たるもの、
固より其の志にあらざるべきも、事情止むべからざるものありて、此の如く
雌伏して甘むぜしなり、桟豆豈に天驥の志ならむや、然り桟豆は平八の志に
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あらざるなり、而かも門閥と格式との、箝制と 束との厳重なる封建時代の
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ことにしあれば、亦た如何ともなす術もなく、空しく簿書堆裏に囚獄庭上に
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其の驥足を屈して居たりしが、幸にして龍馬は竟に伯楽に逢へり、文政四年、
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其の唯一の知己たる近藤守重と涙を揮つて別れたる同じ年を以つて高井山城
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守実徳は、大坂東町奉行となれり、而して平八は早く実徳の知遇を受け、今
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や将に其の千里の驥足を展ふる者あらむとはせり、平八は擢むでられて吟味
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方となれり、
元来吟味方の職掌たる、刑律を案じ、罪囚を懲治すると、奸悪を摘発し、邪
曲を厳罰するとに在るに過ぎざれば、固より卑しき一小官職たるのみなるが
故に、其の日々面を接して語る徒輩は、皆な学識もなく、志操もなき、凡庸
の俗吏胥徒なるに止まることなれば、残忍酷薄殺を嗜むもの、貪婪暴虐厭ふ
を知らざるものゝ外は、卑陋矇昧義を弁ぜず、頑迷執拗憐むを解せざるの徒
輩ならざるはなし、平八は非凡の天錫を負ひ、絶群の偉器を抱いて此の間に
伍す、所謂霜鶻の 群に入り、猛虎の羊群に在るが如とく、嶄然として頭角
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を秡き、 然として悚骨を露はすもの、固より其の所、而かも其の吏務の区々
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些々たるに至つては、平八をして之を処理し、裁断せしむる、自ら鶏を割く
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に半刀を用ふるの観なきを得ざるなり、而して平八が実徳の抜擢に与り、大
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になすあらむとしたるは、実に其の齢二十八歳の英気方さに煥発し、猛勢当
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るべからざるの時にてありき、
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石崎東国
『大 塩 平 八 郎 伝』
その30
驥(き)
1日に千里を走
るほどの名馬
驥足
(きそく)
すぐれた才能、
才能のある人
擢(ぬき)むで
天錫
(てんしゃく)
天から授かっ
た物
嶄然
(ざんぜん)
一段高くぬき
んでているさ
ま
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