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太虚の本体実相、固より起滅もなく、生死もなし、之を人生の上に諦観し来
り、体認し来れば、生死固より一なり、利害禍福亦た関するところにあらず、
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語黙動静、行住坐臥亦た一なり、而して其の生死を断じ、禍福を断じ、直に
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太虚の本体実相をして、 布照燿せしめ、脱体現前せしむるの境界を描出し、
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て曰く、
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湯之夏台、文之 里、及文丞相之土室、繹 其所 以皆裕如晏如与 平生
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不 異之道 非 他、其囹圄容 身之虚、乃太虚之虚、而居 其宮室 櫺之
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内 亦無 以異 、故不 狭又不 陋、不 憂又不 懼、是其裕如晏如之所 由
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然 也、而要在 於不 失 其心之虚 也、人如不 失 吾心之虚 、則何往而
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不 広大 、何居而不 安楽 、而又何狭陋之有、何憂懼之為、
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太虚の本体実相を人生の上に諦観し、体認し、生死を一にし、利害禍福もな
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く、喜怒哀楽もなく、語黙動静を通じ、行住坐臥を聯ねて、総に是れ一なる
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を人生の実在の上に露明々地たらしむる、其の期するところこゝに在り、而
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して特に生死を一にすと云ふ一の字に至りては、古来より唯心論心論学者の
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尤も重要視する所に属すること、堯典舜典の「惟精惟一」、及び魯論の「吾
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道一以貫 之」と云ふに基づくを睹るかことく、其の時に或は真理其のもの
のシンボールとして用ゐらる程に、重大なる文字なるに於いて、頗ぶる明白
なり、
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