積極的諦
観法体認
法
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(四)一 死生 とは諦観法なり、体認法なり、死生は人生の大事なり、仏家
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には「無常迅速生死事大」と曰ふ、死生は人生の一大問題なり、ソクラテス
は夙に霊魂不滅を説き、「学は死の学なり」と曰へり、然り人生の学に於て、
其の終極は死の問題に帰着す、生あるが故に死あり、生なくむば死も亦たな
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し、業已に気質を変じ、良知を致たし、霊心の性格たる良知に合体せば、宇
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宙の本体、直に是れ自己霊心の実相、直に是れ自己宇宙の本体は太虚なり、
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霊心の実相も亦た太虚なり、業已に太虚に合体融着す、則はち太虚には生も
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なく死もなし、生死即ち一なり、故に太虚の体を存せざる者は、生死一なる
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を得ざるなり、業已に太虚の体に帰す、果して帰するや否やは、之を如何に
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して自ら知り、自ら証するか、是に於てか此の諦観法体認法あり、太虚の本
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体実相を人生の上に於て諦観する法、即ち是れ体認する法、即ち是れ、
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英傑当 大事 、固忘 禍福生死 、而事適成、則亦或惑 禍福生死 矣、至
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学問精熟之君子 則一也、
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無 求 生以害 仁、夫生有 滅、仁太虚之徳、而 万古不滅者也、舍 万古
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不滅者 、而守 有 滅者 惑也、故志士仁人、舍 彼取 此、誠有 理哉、非
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常人所 知也
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臨 利害生死之境 、実不 起 趨避之心 、則未 至 五十 乃知 天命 也、
而動 其心 以趨避者、則雖 百歳老人 、実夢生耳、比等命之知不 知、
固無 論矣、是故人不 可 以不 早知 天命 也、
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業已
(すで)
『洗心洞箚記』(本文)
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その174
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