消極的諦
観法体認
法
知行合一
  | 
    ●  ● ●    ● ●    ● ● ● ●          ● ●    ● ●
(五)去 虚偽 は太虚の本体実相を、人生実在の上に諦観し、体認するに於
   ● ● ● ● ●
ける消極的方法なり、
            ● ●                    ● ●
  柔侫狡詐、皆是賊 良知 之蠧也、加 之以 学力 、則不 啻賊 己之良知 、
          ● ●
  亦蠧 了人々之良知 也
  言貌之文而已、則君子不 親信 、而有 情与 誠、則雖 無 言貌之文 、必
  親 信之 也況其見 於言貌 乎、呂新吾先生曰、情不 足、而文之以 言、
  其言不 可 親也、誠不 足、而文 之以 貌、其貌不 足 信也、是以天下
  之事貴 真、真不 容 掩、而見 之言貌 、其可 親可 信也夫、吁、是言
  也、知 人鑑也、
  ○ ○ ○ ○   ○ ○   ○           ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○         ●
「巧言令色、鮮矣、仁」と曰ひ、「剛毅木訥近於仁」と曰ふが如く、真を貴
  ●       ●  ●          ●  ●              ●  ●
び、実を尚ぶ虚は実の賊なり、偽は真の障なり、之を去らすむは、真と実と
            ●  ●       ● ●      ● ●      ● ●   ● ●
は現前せざるなり、而して真と実とは、太虚なり、良知なり、宇宙の本体、
● ●   ● ●      ● ●
霊心の実相なり、性格なり、故に平八は恰も其の断案なるかの如くに、言ふ
ことあり、曰はく、
      ● ●                ● ●
  心帰 乎太虚 、非 他、去 人欲 存 天理 乃太虚也
        ●  ● ●  ○ ● ● ○ ● ● ● ● ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ● ● ○  ● ● ○
と、然らば則ち去 虚偽 は太虚の本体実相を人生実在の上に諦観し、体認す
 ○ ○ ○ ○ ○ ● ● ● ● ● ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○
るに於ける消極的方法なること明けし、
                          ● ● ● ● ●
以上は洗心洞学説の五大綱要たり、而して是れ主として理論的研究の方面に
    ● ● ● ● ●         ● ● ● ●      ● ● ● ●
して、実行的研究の方面にあらず、理想性格の論にして倫理実行の論に在ら
        ● ● ● ● ●        ● ● ● ● ●
ず、而かも此の理論的研究よりして其の実行的研究に直ちに進入するに於い
       ● ● ● ●    ● ● ● ●             ● ● ● ● ●
て、平八は「知行合一」「実践躬行」を主張するが故に、此の理論的研究も
       ● ● ● ● ●
其の大部分は実行的研究に於いて説明されたり、こゝには単に其の学説とし
            ● ● ● ● ●
て観察するが故に、其の理論的研究の方面を観察するに止めしのみ、而して
 ○ ○ ○ ○ ○ ○   ● ● ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○   ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ● ● ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○
其の大眼目は、太虚の理に在るなり、他の四綱要は皆な太虚の理に密接に附
 ○ ○ ○ ● ● ○ ○ ● ● ○ ● ● ○ ○ ○ ○ ○ ○   ○ ○ ○ ○ ○ ● ● ● ● ●
随する積極又は消極の方法たるに過ぎず、此れを其の理論的研究の方面に於
ける観察の一班となす、
 
  | 
『洗心洞箚記』(本文)
その171
『洗心洞箚記』(本文)
その167
尚(とうと)ぶ
『洗心洞箚記』(本文)
その91
  |