致仕以来、平八は陽明学派の標識者として、専心一意、講学と教育とに従事
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せり、平八は今や一つの処士となれり、道学先生となれり、閑散の身となれ
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り、塵外の人となれり、
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吾既辞職而甘隠、脱険而就安、宜高臥舎労苦、以楽自性、然夙
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興夜寝、研経籍、授生徒者、何也、此不是好事、不是糊口、不
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為詩文、不為博識、又不欲大求声誉、不欲再用於世、只
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扮得学而不厭誨人不倦之陳迹而已、世人莫恠、又莫罪、鳴呼、
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心帰乎太虚之願、則誰知之乎、我独自知焉耳、
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業已に閑散の身となり、塵外の人となりし平八は、今や尚ほ夙興夜寝研経
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籍授生徒なり、学而不厭誨人不倦なり、而も尚ほ区々此の如くに独り
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労するは、其の自ら言ふ如く、心帰乎太虚之願を貫徹せむか為めなり、此
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の如き心願を有する平八は、彼の如き学説を唱へて、今や一個の々堂々た
る道学先生として、子弟の開発鼓盪と誘掖提撕とに力を竭くし、心をくす
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なり、而して其の所謂教育法の如きを見るに、亦た自ら一種独特の気風を有
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するが故に、聊かこゝに之れが評論を試みむとはするなり、
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