Я[大塩の乱 資料館]Я
2016.5.14

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「大塩の乱関係論文集」目次


『大塩平八郎』 その44

国府犀東(1873-1950)

(偉人史叢 8)裳華書房  1896

◇禁転載◇

洗心洞の学風(21)
 (其二)洗心洞の教育法(1)

管理人註

洗心洞の
教育法

致仕以来、平八は陽明学派の標識者として、専心一意、講学と教育とに従事    ・・・・・・・・・・・・・・ ・・・・・・・・ ・・・・・・・ せり、平八は今や一つの処士となれり、道学先生となれり、閑散の身となれ ・ ・・・・・・・・ り、塵外の人となれり、                                     吾既辞職而甘隠、脱険而就安、宜高臥舎労苦、以楽自性、然夙    ○ ○ ○   ○  ○ ○    ○ ○ ○ ○   興夜寝、研経籍、授生徒者、何也、此不是好事、不是糊口、不                                    為詩文、不博識、又不大求声誉、不再用於世、只    ○  ○ ○ ○ ○  ○ ○   ○ ○  ○ ○ ○ ○  ○ ○            ○ ○   扮得学而不厭誨人不倦之陳迹而已、世人莫恠、又莫罪、鳴呼、    ○ ○  ○ ● ●  ○ ○   ○ ○ ○  ○ ○   ○ ○ ○ ○ ○ ○   心帰乎太虚之願、則誰知之乎、我独自知焉耳、                             ○ ○ ○ ○ ○  ○ 業已に閑散の身となり、塵外の人となりし平八は、今や尚ほ夙興夜寝研 ○ ○  ○ ○        ○ ○ ○  ○ ○  ○ ○  ○生徒なり、学而不厭誨人不倦なり、而も尚ほ区々此の如くに独り                ○ ○  ○ ○ ○  ○ ○            労するは、其の自ら言ふ如く、心帰乎太虚之願を貫徹せむか為めなり、此 ○ ○ ○ ○ ○ の如き心願を有する平八は、彼の如き学説を唱へて、今や一個の々堂々た る道学先生として、子弟の開発鼓盪と誘掖提撕とに力を竭くし、心をくす        ○ ○ ○ ○ ● ● ● ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○   ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ なり、而して其の所謂教育法の如きを見るに、亦た自ら一種独特の気風を有 ○ ○ するが故に、聊かこゝに之れが評論を試みむとはするなり、










『洗心洞箚記』(本文)
その44


『大塩平八郎』目次/その43/その45

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