平八は文
学者にあ
らず
史論を卑
しむ
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然らば則はち虚偽を去り、天理を存するの旨義を有せる平八は、緊褥絢爛を
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好まずして、鄭荘修樸を尚ひしより、かくは文学を排責するに傾きたるもの
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なるべし、朱子の所謂「務為 明白磊落 、指 切事情 」もの、是れ平八が文
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章に於ても、詩篇に於ても、渾て文学的の製作物に対しては、唯簡明直截な
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るを尚ひしと同一の傾向を示すものなり、平八は文学に於ても実用を主とせ
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しものなり、実用以外に文学を見ず、故に其の東堂掲示に於いて、呂新吾の
語を掲けて曰はく、
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凡字不 見 経伝 、語不 根 義理 。君子不 出 諸口
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と然らば平八は全く文学を以つて問学明道の上、学術に用なきものと見做せ
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しものなり、此の意見を抱ける平八の詩文を文学的眼孔を以つて評論せむと
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するは、恰かも仏殿に入つて、讃美歌の曲譜を聞かむと欲すると同ばく、所
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謂御門違たるの感なきを得ざるなり、
歴史に対する平八の識見も、亦た一種卓絶の懐抱なり、
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諸儒有 史論 、而周程陽明先生等及 史論 亦罕焉、何也、夫古今之英雄
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豪傑、多従 情欲上 做来、雖 従 情欲上 做来、則驚天動地之大功業 、
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要夢中之伎倆而已、評 夢之是非 、明道君子之所 不 欲 言、而是所 以
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史論之亦罕 也歟、故周程陽明先生終日所 言所 論、惟喚 醒自 英雄豪
傑 至 閭巷愚夫婦 之昏夢 而已耳、読 其書 、可 見 其苦心甚 乎諸儒
之史論 也、
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是れ亦た天理を尚ひ、人欲を卑しむの旨意を基とするもの、平八は歴史を以
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つて、英雄豪傑の事業の歴史となし、英雄豪傑の事業は、多く情欲範囲内の
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現象なりとなし、以つて歴史を重むせざるの意を陳べり、而かも平八は別に
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歴史伝記、論伝史論の区別をもなさずして、一概に歴史的文学を排責せり、
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居然、平八は聖経賢伝の範囲以外に文学的知識を要せずとなせり、
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尚(とうと)ひし
山田準
『大塩中斎』
その15
『洗心洞箚記』(本文)
その82
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