平八と佐
藤一斎
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而して明くる天保四年癸巳の歳四月、洗心洞剳記の刻は成れり、平八は之を
諸方の名家と、俊髦とに送致して之れが評論を求めたり、蓋し平八の発明は
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一代の卓見なりしに相違なし、果然として平八は、一朝に碩学鴻儒を以つて
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当代の重きをなせる、一斎佐藤坦をして、大に其の活識に服さしめたり、一
斎は夙に文化二乙丑の歳を以つて林氏の塾長となれるもの、事二十九年の前
に在り、而して今や儒林の泰斗として推され、聖堂の祭酒たるなり、年歯亦
た業已に高し此の老儒たる一斎は、七月朔の日付を以つて答謝の書牘を致た
し、敬服の中に稍訓戒の意を寓したるを示す、一斎は老儒なり、平八は齢尚
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ほ壮なり、是れ其の年歯強壮、才気鋭利、或は猛進覆敗を取るあらむ事を慮
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りたる、一片の婆心なるに似たり、
平八郎様 捨蔵
陋簡拝啓、未 接 紫眉 候処、秋暑時節、御佳裕被成御興居奉抃賀候、抑
先頃者間生へ御転托ニテ、高著洗心洞剳記二冊被恵、副以真文手教、辱
致拝受候、真文拝復可致之処、人事紛忙、且老境精力薄相成候間、俗通
書不取敢御報申述候、御恕察被下度候、先以兼テ御芳名伝承罷在、以津
楚者拝顔致シ度存居候処、此度不図御手牘ニ預リ、御履歴且御志操之概、
詳悉被仰示、披雲同様ニ存シ、欣聳不少奉存候、先達而間生出府之砌モ、
御剳記中抄出之冊子、間生ヨリ被示、今又新刻全部御恵被下、反覆致拝
覧候所、数條御実得之事共、使人感発興起不勝欣躍、拙老ナト可及所ニ
非スト奉存候、就中大虚之説御自得致敬服候、拙モ兼々霊光之体即大虚
ト心得候処、自己ニテ大虚ト覚ヘ、其実意必固我之私ヲ免レス、認賊為
子之様ニ相成、難認事ト存候、貴君精々此所御着力被成候得ハ、即御得
力爰ニ可有之ト存候、尚モ実際ニ御工夫被着カシト祈入候事ニ御座候、
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業已
(すで)
幸田成友
『大塩平八郎』
その175
『洗心洞箚記』(抄)
その19
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