Я[大塩の乱 資料館]Я
2016.6.9

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「大塩の乱関係論文集」目次


『大塩平八郎』 その65

国府犀東(1873-1950)

(偉人史叢 8)裳華書房  1896

◇禁転載◇

知友に一代の翹楚多し(13)

管理人註

















平八と佐
藤一斎

                  ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ 而して明くる天保四年癸巳の歳四月、洗心洞剳記の刻は成れり、平八は之を 諸方の名家と、俊髦とに送致して之れが評論を求めたり、蓋し平八の発明は               ・・・・・・・・ ・・・・・・・・・・・ 一代の卓見なりしに相違なし、果然として平八は、一朝に碩学鴻儒を以つて ・・・・・・・・・ ・・・・・・・・ ・・・・・・・・・・・・・ 当代の重きをなせる、一斎佐藤坦をして、大に其の活識に服さしめたり、一 斎は夙に文化二乙丑の歳を以つて林氏の塾長となれるもの、事二十九年の前 に在り、而して今や儒林の泰斗として推され、聖堂の祭酒たるなり、年歯亦 た業已に高し此の老儒たる一斎は、七月朔の日付を以つて答謝の書牘を致た し、敬服の中に稍訓戒の意を寓したるを示す、一斎は老儒なり、平八は齢尚         ○ ○ ○ ○ ○ ○   ○ ○ ○ ○   ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ほ壮なり、是れ其の年歯強壮、才気鋭利、或は猛進覆敗を取るあらむ事を慮 ○ ○ ○  ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ りたる、一片の婆心なるに似たり、       平八郎様           捨蔵   陋簡拝啓、未紫眉候処、秋暑時節、御佳裕被成御興居奉抃賀候、抑   先頃者間生へ御転托ニテ、高著洗心洞剳記二冊被恵、副以真文手教、辱   致拝受候、真文拝復可致之処、人事紛忙、且老境精力薄相成候間、俗通   書不取敢御報申述候、御恕察被下度候、先以兼テ御芳名伝承罷在、以津   楚者拝顔致シ度存居候処、此度不図御手牘ニ預リ、御履歴且御志操之概、   詳悉被仰示、披雲同様ニ存シ、欣聳不少奉存候、先達而間生出府之砌モ、   御剳記中抄出之冊子、間生ヨリ被示、今又新刻全部御恵被下、反覆致拝   覧候所、数條御実得之事共、使人感発興起不勝欣躍、拙老ナト可及所ニ   非スト奉存候、就中大虚之説御自得致敬服候、拙モ兼々霊光之体即大虚   ト心得候処、自己ニテ大虚ト覚ヘ、其実意必固我之私ヲ免レス、認賊為   子之様ニ相成、難認事ト存候、貴君精々此所御着力被成候得ハ、即御得   力爰ニ可有之ト存候、尚モ実際ニ御工夫被着カシト祈入候事ニ御座候、


















業已
(すで)












幸田成友
『大塩平八郎』
 その175

『洗心洞箚記』(抄)
その19


『大塩平八郎』目次/その64/その66

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