Я[大塩の乱 資料館]Я
2016.6.11

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「大塩の乱関係論文集」目次


『大塩平八郎』 その67

国府犀東(1873-1950)

(偉人史叢 8)裳華書房  1896

◇禁転載◇

知友に一代の翹楚多し(15)

管理人註











胆服する
が如く
液をなふ
るが如し
と

其の「数條御実得之事共、使人感発興起不欣躍、拙老ナト可及所ニ非                             ○ ○ ● ● ○ ○ ○ ズト奉存候、就中大虚之説御自得、致敬服候」と曰ひて、先つ感服の意を ○ ○ ○ ○ 表し置き、「認賊為子之様ニ相成、難認事ト存候、貴君精々此所御着力被 成候得ハ、即御得力、爰ニ可之ト存候、尚モ実際ニ御工夫被着カシト祈 入候事ニ御座候」とて平八に注意を与へ、扨て「都而之教授ハ、並之宋説計 ニ候、殊ニ林氏家学モ有之候得ハ、其碍ニモ相成、人之疑惑ヲ生シ候事故、                  ○ ○ ○ ● ● ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ 余リ別説モ唱不申候事ニ候」とて、自己の別説を立てさる故を述べ、「主張 之念をリテ、公平之心ヲ求メ度候」と一歩を進め「返ス/\モ、其実無之 而者、何学ニ而モ、埒明不申、タヽ自己之実ヲ積候外無之トノミ心掛候得                           ○ ○ ○ ● ● ○ ○ ○ ○ 共、扨々十カ一モ、存意通ニ参ラス、浩嘆に堪ス候」と自から謙遜して暗に ○ ○ ○ ● ● ● ○ ● ● ○   ● ● ● ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○   ● ● ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ 平八が一家言を主張し、一学名を標幟するに対して、反省を望むの意を示し、 其の次ぎに「御剳記中、前人未発之條不一而足候得共、堯舜之上善無尽」 ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ と造詣の程度に限りなきを諭し、さて終りに「殊ニ御年齢強壮之御事、此後 幾層御長進可之歟、不測ト御頼敷存候事故、申迄モ無之愈益御深造             ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ 之処、翹望ニ堪ス候」と大に望を属せり、其の或は服し、或は戒め、或は譲 り、或は諭とし、一揚一抑這老是れ個の野孤精其の老手腕驚くに耐えたるも          ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○   ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ のありと雖ども、要するに大に平八に望を属するが故に、其の綣老婆心切 ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○   ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○   ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ 一にこゝに至りしものとせば、其の平八に服するものある、亦た昭として明 ○ ○   ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ けし、一斎は実に平八の知己なりしなり、其の他平八が文書相通し、議論相                                  ○ ○ 交ゆものに一にして足らず、大抵皆な当代の英髦翹楚なりしと雖とも、特に ○ ○  ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ 山陽と一斎とは其の傑出中の傑出せるものなりしなり、山陽は夭拆す、平八            ・・・・・・・・・・ ・・・・・・・・・・・・ の末路は之れを知らず、一斎は寿を以つて終ふ、平八の覆敗果して其の夙に ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ ・・・・・ 平八の為めに慮りし所と符節を合するが如きものあるに於いて、其の嘗つて ・・・・・・・・・・・ ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 大に望を属せしと同時に、又た大に平八の為めに惜むところありしや明白な ・  ○ ○  ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ り、一斎は実に夙に平八を看破せるものと謂ふべし、其の他斎藤拙堂も亦た 平八と文書相通せり、亦た当代の大家なり、    ***○***○***○***○***○***      ○***○***○***○***○***○***○



幸田成友
『大塩平八郎』
 その175

『洗心洞箚記』(抄)
その19


『大塩平八郎』目次/その66/その68

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