Я[大塩の乱 資料館]Я
2016.6.24

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「大塩の乱関係論文集」目次


『大塩平八郎』 その69

国府犀東(1873-1950)

(偉人史叢 8)裳華書房  1896

◇禁転載◇

天保の饑饉(1)

管理人註
    

  国家経済の動乱○物価の変動○矢部駿河守大坂に町奉行たり○平八金頭   を噛み砕く○饑饉の惨状○跡部良弼矢部駿河に代はる○賑の策を献ず   ○平八策用られず○王覇衝突の観念○富豪連合義捐の策成らず○王畿賑   策窮民救拯策を如何せむ○神仙的生涯○不二峰頭の平八 天保の飢饉は其の四年癸巳の年を以つて始まれり、是の歳夏六月、奥羽地方 冷気行はれ、寒きこと冬の如とく、禾稼皆な凋落して五穀登らず、冬飢ゆ奥 羽最も甚たし、是れより比年凶歉天明の飢年を隔る五十年、こゝに再び此の 凶年を睹るに至れり、 此の歳や独り我が邦のみ然るに非ず、高麗半島も亦た大に飢ゆ、然らば極東    ・・・・・・・・ ・・・・・・・・ ・・・・・・・・・ ・・・ の一圏風雨其の節を失ひ、寒暑其の序を紊し、旱魃と霖雨と相踵き、河水横 ・・ ・・・・・ ・・・・・ ・・・・・ ・・・・・ ・・・・・ ・ 溢し、堤防潰決し、田野荒蕪し、菜穀枯凋し、稟倉給せす、糶価暴騰し、衣 ・・・・ ・・・・・・・ ・・・・・・ ・・・・・ ・・・・・・ ・ 食窮乏し、餓路に横はり、村墟炊煙なく、鶏犬声なく、明皆な流亡し、産 ・・・・ ・・・ ・・・ ・・・・ ・・・・・・・ ・・・・ ・・・ を治めす、耕せず、蒔せず、満目黯憺、原野蕩然として、荒煙晦霧、凝つて ・・・ ・・・・・ ・・・・・・ 散せず、賑恤術なく、神霊共に泣く、一圏を挙けて皆な然りと見ゆ、而して ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ 我が飢歉は天保八丁酉の歳に至つて其の極に達せしなり、国土を挙げて凶歉、 而して年所を閲する五、国家如何なる義倉公稟の制あるも、亦た之を如何と もなるなきなり、















徳富猪一郎
『近世日本国民史』
その22


禾稼
(かか)
穀物

睹(み)る


『大塩平八郎』目次/その68/その70

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