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国家経済の動乱○物価の変動○矢部駿河守大坂に町奉行たり○平八金頭
を噛み砕く○饑饉の惨状○跡部良弼矢部駿河に代はる○賑 の策を献ず
○平八策用られず○王覇衝突の観念○富豪連合義捐の策成らず○王畿賑
策窮民救拯策を如何せむ○神仙的生涯○不二峰頭の平八
天保の飢饉は其の四年癸巳の年を以つて始まれり、是の歳夏六月、奥羽地方
冷気行はれ、寒きこと冬の如とく、禾稼皆な凋落して五穀登らず、冬飢ゆ奥
羽最も甚たし、是れより比年凶歉天明の飢年を隔る五十年、こゝに再び此の
凶年を睹るに至れり、
此の歳や独り我が邦のみ然るに非ず、高麗半島も亦た大に飢ゆ、然らば極東
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の一圏風雨其の節を失ひ、寒暑其の序を紊し、旱魃と霖雨と相踵き、河水横
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溢し、堤防潰決し、田野荒蕪し、菜穀枯凋し、稟倉給せす、糶価暴騰し、衣
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食窮乏し、餓 路に横はり、村墟炊煙なく、鶏犬声なく、明皆な流亡し、産
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を治めす、耕せず、蒔せず、満目黯憺、原野蕩然として、荒煙晦霧、凝つて
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散せず、賑恤術なく、神霊共に泣く、一圏を挙けて皆な然りと見ゆ、而して
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我が飢歉は天保八丁酉の歳に至つて其の極に達せしなり、国土を挙げて凶歉、
而して年所を閲する五、国家如何なる義倉公稟の制あるも、亦た之を如何と
もなるなきなり、
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徳富猪一郎
『近世日本国民史』
その22
禾稼
(かか)
穀物
睹(み)る
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