国家経済
の動乱
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かくて我が凶歉は天保四年を以つて始まれり、而して将軍家斉已に政に倦み、
天保五年、水野忠邦を挙げて老中となすも、忠邦未だ其の敏腕を揮ふの力を
得ずして止めり、而して北疆の鎖鋳之れが防禦の策を講せさるべからず、政
費分度を超過し、財政紊乱、国帑給せず、三年二朱金を鋳り、五年に二分金
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を鋳り、六年に当百銭を鋳り、八年に五両判一分銀を鋳り、貨幣濫発悪貨流
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行し、国家経済の基礎、業已に動乱せり、而して五年、江戸大火あり、大都
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蕩然として燼となる、之を造営せざるべからず、中央市府は烏有となり、而
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して地方農穫は逆歳空乏を告ぐ、国家の財源は今や枯槁せり、国家の経済は
早やく破綻を示せり、中央国庫は業已に此の如く空虚なり、而して地方財源
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亦た此の如く窮迫す、義倉ありと雖ども、公稟ありと雖ども、以つて糶価の
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暴騰を制して之れが権衡を和らぐるに及ばず、況むや賑 をや、況むや救拯
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をや、然り而して凶歉は国庫の豊充なるを待たざるなり、経済の整理するを
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待たざるなり、年々其の度を高め来ける凶歉は、天保七年より以つて八年に
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至り、殆むと其の頂点に達せんとせり、
一、天保四巳年八月朔日、大風雨南東の風所々風損の箇所夥敷有之、米
穀高直に相成
御米蔵相場百三拾位、町相場両に同断小売五合
右追々高直に成、十二月下旬、御蔵百俵付百五拾両位に成
一、同五午年十二月、町相場七拾弐三両、五月同上八拾五六両強、十月
同上五拾五六両位
一、同六未年二月、同四拾七八両位、五月同四拾八九両 五拾両余十月、
同五拾八九両 六拾両余
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徳富猪一郎
『近世日本国民史』
その10
国帑
(こくど)
国家の財産
鋳(い)り
糶価
(ちょうか)
米価
救拯
(きゅうじょう)
徳富猪一郎
『近世日本国民史』
その23
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