Я[大塩の乱 資料館]Я
2016.6.27

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「大塩の乱関係論文集」目次


『大塩平八郎』 その70

国府犀東(1873-1950)

(偉人史叢 8)裳華書房  1896

◇禁転載◇

天保の饑饉(2)

管理人註









国家経済
の動乱

かくて我が凶歉は天保四年を以つて始まれり、而して将軍家斉已に政に倦み、 天保五年、水野忠邦を挙げて老中となすも、忠邦未だ其の敏腕を揮ふの力を 得ずして止めり、而して北疆の鎖鋳之れが防禦の策を講せさるべからず、政 費分度を超過し、財政紊乱、国帑給せず、三年二朱金を鋳り、五年に二分金                             ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ を鋳り、六年に当百銭を鋳り、八年に五両判一分銀を鋳り、貨幣濫発悪貨流 ○ ○   ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○   ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ 行し、国家経済の基礎、業已に動乱せり、而して五年、江戸大火あり、大都                       ○ ○   ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○   ○ 蕩然として燼となる、之を造営せざるべからず、中央市府は烏有となり、而 ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ して地方農穫は逆歳空乏を告ぐ、国家の財源は今や枯槁せり、国家の経済は 早やく破綻を示せり、中央国庫は業已に此の如く空虚なり、而して地方財源           ・・・・・・・・ ・・・・・・・・ ・・・・・・ 亦た此の如く窮迫す、義倉ありと雖ども、公稟ありと雖ども、以つて糶価の ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ ・・・・・・・ ・・・・・ 暴騰を制して之れが権衡を和らぐるに及ばず、況むや賑をや、況むや救拯 ・・ をや、然り而して凶歉は国庫の豊充なるを待たざるなり、経済の整理するを         ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○   ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ 待たざるなり、年々其の度を高め来ける凶歉は、天保七年より以つて八年に ○ ○   ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ 至り、殆むと其の頂点に達せんとせり、   一、天保四巳年八月朔日、大風雨南東の風所々風損の箇所夥敷有之、米     穀高直に相成      御米蔵相場百三拾位、町相場両に同断小売五合     右追々高直に成、十二月下旬、御蔵百俵付百五拾両位に成   一、同五午年十二月、町相場七拾弐三両、五月同上八拾五六両強、十月     同上五拾五六両位   一、同六未年二月、同四拾七八両位、五月同四拾八九両五拾両余十月、    同五拾八九両六拾両余




徳富猪一郎
『近世日本国民史』
その10



国帑
(こくど)
国家の財産

鋳(い)り
















糶価
(ちょうか)
米価

救拯
(きゅうじょう)

徳富猪一郎
『近世日本国民史』
その23


『大塩平八郎』目次/その69/その71

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