Я[大塩の乱 資料館]Я
2016.6.30

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「大塩の乱関係論文集」目次


『大塩平八郎』 その73

国府犀東(1873-1950)

(偉人史叢 8)裳華書房  1896

◇禁転載◇

天保の饑饉(5)

管理人註













平八金頭
を噛み砕
だく


































饑饉の惨
状

一夕定謙平八を燕堂に招き、種々の相談などし、ともに食を喫せし折、不図                  ・・ ・・・・・ ・・・・・・・・ 談適ま憂国の事に及びければ、平八、忠憤、感激の余り、青筋額に突き立て ・・・・・・・・・・ ・・・・・・・・ ・・・・・・・・・・・・・・ 眦惨まじく釣り上げて、総髪冠を衝くの勢、触れなば崑崙も微塵にせむする ・・ ・・・・ ・・・・・・ ・・・・・・ ・・・・・・・・・・・・ 有状、意気軒昂、肩を聳はたて、総身は力きみ、手に持つ椀をも箸をも圧し ・・・ ・・・・・・・・・・・・・・・ つぶし、握ぎり折らんむばかりなりければ、定謙、これはと、さま/゛\に                               ・・・・ 慰籍などなしけれども、怒り荒れたる平八郎、益荒れて憤を増し、膳部に据 ・・・・・・・・ ・・・・・ ・・・ ・・・・・・・・・・・・・・ へたる一尾の金頭、左に皿とり、右に箸、力みを入れて挟み取つたる金頭、 ・・・・・・・・・・・ ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 何かは容赦のあるべきぞ、たゞ一口に頭から尾まではり/゛\と噛み砕きて ・・・・・・・ ぞ食ひたりける、これを見て取る給仕の小性、恐それ戦ぬき胆つぶし、その まゝ執事に物語れば、彼れもし狂人にやありなんと、憂ふるあまり、平八が 去りぬる夜の明くるを俟ち兼ね、翌日直ちに定謙の居間に至りて諫めけるは、 昨夕の御客は狂人にこそ候はん、ゆめ/\高貴の御力に近づくべふ輩には候 はず、是れより後は必らず/\奥通り差し止められて然るべふ存し侍べると         ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ ・・・ のことなれども、定謙はもとより平八を非常の傑物と見るからに、是れは子 ・・・・・・ ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 細のあること、汝等が知らむ所にもあらねば心配は無用とて、始終平八との ・・・・・・ ・・・・・・・・・・・ 交情を全ふし、数年一日の如くなりにき、 定謙か町奉行となりてより、天保四年以来世の中は飢饉の為めに追々騒かし く、天保七丙申の歳となりぬれば、四年よりの米穀不作の影響はまだ失せや らで、すはや焚き出し御粥など、窮民の賑に急なる昨日の夢も醒めざるに、       ・・・・・・・・・ ・・・・・・・・・・・・・・・・・ 二月この方、霖雨絶へ間も見せず、六七月の間より大風諸所を吹き荒らし、 ・・・・・・ ・・・・・・・・・・・・・・・・ ・・・・・・・・・・ 稲は登のらず、関東も関西も六十余州を打ち挙りて、飢饉の叫は鳴り響れり、 ・・・・・・・・・・・・・ ・・・・・・・ ・・・・・・・・・・・・ 米価は五十両より一飛びして、百何拾両となり、麦も豆も稗も黍も諸穀の価 ・・・・・・ ・・・・・・・・・・ ・・・・・・・・・・・・・・・・ 総揚がりにて、京大坂は言ふも更なり、江戸も奥羽も坂東も餓 は路に行 ・・・ ・・・・・・・・・・ ・・・・・・ ・・・・・ ・・・・ ・ き倒れ、また生きのこる窮民は、野草くこのめ、うこぎ葉や、草人参や、よ ・・ ・・・・ ・・・・・・・・・・・ ・・・・・・・・・・・・・・ め菜、たんぽぽ、田芹など米麦挽割に交ぜ、今はよう/\に命を繋なぐ有状、 即ち是れ天下危急の秋なり、




桜庭経緯
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平八郎


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