Я[大塩の乱 資料館]Я
2016.7.3

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「大塩の乱関係論文集」目次


『大塩平八郎』 その75

国府犀東(1873-1950)

(偉人史叢 8)裳華書房  1896

◇禁転載◇

天保の饑饉(7)

管理人註
の策
を献ず












































平八策用
られず

・・・・・・・・・・・・・・ ・・・・・・・・・・ ・・・・・・・・ 平八は浪華か商業金融の中心点、米穀集散の焼点なると、富豪大賈か常に巨 ・・・・ ・・・・・・・・・・・・・・・・・・ ・・・・・・・・・・ 利を博し、鉅益を攫むの状とを目撃し居るものなり、大坂の富豪大賈は平時 ・・・・ ・・・・・・・・・ ・・・・・ ・・・・・・ ・・・・・・ に於いて、彼の如く巨利を博し、鉅益を攫む、窮民天に愬へ、地に哭する危 ・・・・ ・・・・・・・・・・・・・ ・・・・・・・・ ・・・・・ 急の今日、彼等は宜しく其の貨宝を抛ち、其の倉稟を開らき、産を傾むけ、 ・・・・・ ・・・・・・・ ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 家を傾けて、此の際大に窮逼、死に瀕するの民を賑恤し救拯するに於いて、 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 一臂の力を添ふべき責務を有すと信ぜり、平八は此等の富豪大賈を連合せし め、之をして大に義捐せしむるの術を以つて、之を新奉行に献せり、而して 自ら其の間に斡旋尽力して、此等の富豪大賈を游説し、連合せしめむとする なり、平八は此の封事を献ずるや、直ちに出でゝ鴻池を説き、三井を説き、                     ・・・・・・・・・・・ ・・ 岩城を説けり、皆な浪華第一流の大賈なり、彼等は猗頓の富を累ねり、金玉 ・・・・・・ ・・・・・・・・・・・・・・・・・ ・・・・・・・・・ の珍を積めり、平八は此の累ねたる猗頓の富を崩づし、此の積める金玉の珍 ・・・・ ・・・・ ・・・・・・・・・・・ を散じて、窮を救ひ、迫を拯はしめむとはせり、而して当時平八、身は処士 の賤に在りと雖ども、洗心洞に於ける中斎先生として、三千の門弟を有し、 且つ功成り身退くの後なれば、其の威勢も名望も、共に隆々として京摂の間                                  ・ に輝くの時なり、彼等は夙に平八の名望に服せり、平八の威勢を仰けり、此 ・・・・・・・・・・ ・・・・ ・・・・・・・・ ・・・・・・・・・ の平八にして誠心誠意、窮を救ひ、迫を拯ふに於いて、此の如く精を竭くし ・・・・・ ・・・・・・・・・ ・・・・・ ・・・・・・・・・・・・ 力を くし、食を廃し寝を忘れて、奔走周旋す、彼等如何に利を視て義を知 ・・・・・・・・・ ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ らざるの徒と雖ども、豈に一片此の義侠に感激するの情なからむや、果然と して彼等富豪大賈は平八に同情の意を表せり、翼賛の心ろを示せり、富豪大 賈は、今や将さに平八游説の下に連合して、大に賑恤の実を挙げむとするな り、平八は窃かに其の企画の成り、設計の就らむとするを欣び、屐歯の折るゝ を知らざるものあるなり、而かも平八は奉行に於いて大に失望せり、其の封 事は採用せざれざりしなり、新奉行跡部山城守は、今や新に市の尹局に当り て、大に手腕を揮ひ、一手柄を立てゝ一鴻名を博せむものをと肝を挫き胆を         ・・・・・ ・・・・ ・・・・・・・・・・・ ・・・ 砕き居たる折ネ、与力の隠居、僭越にも、奉行の職権に立ち入りて、天下の ・・・・・・・・・・・・・・・・ ・・・・・・・・・・・・・・・・・ 政道に彼れ是れ容喙するは不屈千万、か程のことは与力位の下賤の者が言は ・・・・・・・・・・・ ・・・・・・・・・・・・・・ ・・・・・ ・ ずとも知れ切つたる道理、矢部が悍馬と言ひしは此の平八、小癪な与力、圧 して呉れむと封事は却下にせられたり、却下されたる封事を見たる平八、怒 らで止むべき道理なし、

幸田成友
『大塩平八郎』
その102





愬(うった)へ









封事
(ふうじ)
密封して提出
した政治意見
書



猗頓
(いとん)
中国春秋時代
末の富豪



拯(すく)は



























屐歯
(げきし)
下駄の歯


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