神仙的生涯
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志を当世に獲す、世を憤り世を罵るもの、多くは却つて冷静に、却つて恬澹
に、超然として、出塵の仙骨を 然たらしむ、平八業已に策用いられず、術
行はれず、悲憤淋漓の極、今や其の熱情の烈 を和らげ、其の熱血の余瀝を
泄らし、以つて其の鬱を散じ、其の悶を排せむが為めに、神仙的生涯を始め
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たり、大飛躓を試むるものは、先づ大沈静をなす、尺蠖の先づ屈するもの、
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即はち是れ、
平八は今や吟藁を肩に挂げて、山川清淑の境に向つて、直ちに天然の精霊に
触れ去らむとせり、彼れは門生を挈へ、家僮を提げて、摂の甲山に登ぼれり、
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石に踞して闔国山海の形勢を下瞰し、矯々然として天下を小にし、宇内を
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蔑にするの概あり、
曾游二十二年前。林壑再尋依 旧鮮。今日思深似 前海
彷徨不 独為 詩篇 。
平八の胸中には、鬱勃たる豹韜 まるなり、今日思深きこと眼下の海よりも
深かし、彷徨徘徊する能はざるもの、豈に翅に詩句推敲、未だ成らさるが為
めならむや、居然として平八は早やく殺気を帯ひ来れり、
人随 無事 酔 明時 。柔脆心腸如 女児 。却衝 秋熱 攀 山険 。
誰識独醒愼 独知 。
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神仙の如く倦游せる平八は、甲山絶嶺に立つて忽ち一世を罵倒し始めたり、
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平八は竟に所謂江湖の遠に在つて、其の君を憂ふるもの、如何に羽化登仙せ
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むとするも、畢竟国家民人は其の胸中より抜除するを得ざるなり、
平八はこゝに一種の神仙的方向に向つて更に突進せり、彼れは其の一生の心
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血を灑きたる洗心洞剳記を取りて、之を伊勢の大廟なる神庫に奉納せり、平
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八は以つて在天の 神霊に其の丹誠を質せむとするなり、而して更に去つて、
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一本を不二山頭の石室に蔵め、以つて天地の精霊に其の赤心を愬へむとはせ
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り、世に容れられず、世に用いられざる平八は、今や其の丹誠を神霊に向つ
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て質し、其の赤心を神霊に向つて愬へむとはするなり、
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石崎東国
『大塩平八郎伝』
その85
泄(も)らし
尺蠖
(せきかく)
しゃくとりむし
挂(かか)げて
闔国
(こうこく)
全国
翅
(はね)
灑(そそ)き
丹誠
まごころ
愬(うつた)へむ
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