蔵書を鬻
いて窮民
の念を救
ふ
同志を団
結する
|
・・・・・
而して其の月下旬よりは、恐慌の上に恐慌を加へ、飢饉に悪疫、天に叫ぶ飢
・・・・ ・・・・・・・・・・ ・・・・・・・・・・・ ・・・・・・
の啼き声、地に哭する死の呼び音、彼等は平八の心肝に徹し、骨髄に透り来
・・ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○
れり、平八は最早や見るに忍びずなりぬ、乃はち所蔵の珍書奇籍、汗牛充棟
の経典書巻、凡べて之を挙げて鬻き畢れり、かくして得たる二万両、之を取
・・・
つて窮民の前に置き、一人毎に若干金、以つて一万余人を救ひたり、一片の
・・・・・・ ・・・・・・・・・・・ ・・・・・・ ・・・・・・・・
黄金と雖ども、是れ皆な平八熱血の凝団、此の血を啜り、此の血を呑むもの、
・・・・・・・・・・・・ ・・・・・・・・・・・・ ・・・・・・・・
孰れか感泣に咽ばざらんや、孰れか血涙を落さゞらむや、孰れか奮励せざら
・・ ・・・・・・・・・・
むや、孰れか崛起せざらむや、而して幕吏は却つて之を忌み、富豪は却つて
○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○
之を憚かる、半は熱し、半は狂したる平八、今や竟に禍福生死を問ふに遑あ
○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ・・・・・・・・・・・
らざるなり、利害得失を顧みるに暇あらざるなり、激して迸るものは平八の
・・・・ ・・・・・・・・・・・・・・・・ ・・・・ ・・・・・・・
熱血なり、焚えて騰れるものは平八の烈 なり、熱血淋漓、之を制するを得
・ ・・・・ ・・・・・・・ ・・・・・・・・・・・・・ ・・・・・
ず、烈 猛然、之を抑るを得ず、熱血は竟に杵を漂はさむとし、烈 は竟に
・・・・・・・・ ・・・・・・・・・・・・・・・・
天を焦がさむとす、殺気は 匝として浪華城頭を遶くる、
平八は志を決し、一大飛躍を試みむとす、外業已に之を輔助し、翼成するも
のを見ず、而して内確かに其の命令に遵ひ、其の指揮に服し、仰ぐに厳師を
以てし、敬するに大人を以つてし、従順にして而かも堅固なる、精神的団結
力を以つて凝成せる、一団の猛士群か、平八の周囲を遶つて立つことを発見
・・・・・・・・・・・・・・・ ・・・・・・・・・・ ・・・・
せり、平八は此の一団の猛士群を駆つて、風雷叱叱其の抱負たる、王畿賑恤、
・・・・・・・・・ ・・・・・・・・・・・ ・・・・・・・・・・・・
窮民救極策を遂行し、断行せむとするに於ゐて、今や躊躇すべくもあらざる
・・
なり、猛然として一喝して起てり、起てる平八、之に随つて崛起せる幾百の
猛士、彼等は恰かも獅子王を戴いて、厳角に突つ立ち、千獅万獅一時に吼へ
て、天下の虎豹犲狼をして脳破裂せしめむとする、一団の獅子児群の如く吼
ゆ、其の惨ましき突進の勢、天下何者か得て之を制せむ、天下何者か克く之
○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ・・・・・・ ・・・
れに当らむ、平八は早く業已に同志を団結し畢れり、洗心洞は今や、亜夫細
・・・・・・・・・ ・・・・・・・ ・・・・・・・・・・・・・・・・
柳の軍営とはなれり、中斎先生は今や、采配を採つて三軍に号令する大司馬
・・・・・・・
大将軍となれり、秘議密謀此の軍営に集まり、此の将軍を戴く一団の猛士群
は、将さに四月十日、東照宮の祭日を以つて事を挙げむとはするなり、彼等
は此の祭日を俟ち、城代土井大炊頭利位置、東西町奉行跡部山城守良弼、堀
伊賀守利堅等が、建国寺に詣つるの時を俟つて、其の不意を襲ひ、俗吏の巨
・・・・・・・ ・・・・・
魁を挙げて一時に鏖殺し呉れむと期するなり、大陰謀は成れり、大団結は成
・・ ・・・・・・・・・・・ ・・・・・・ ・・・・・・・ ・・・・
れり、平八幕下の猛士腕を扼し、拳を戟にして、時の至るを俟つ、獅子奮進
・・・・・・ ・・・・・・・・・・ ・・・・・・・・・・・・・・・・
の時は近けり、猛虎咆哮の時は近けり、而して一族の殺気は暗澹として茅淳
・・・・・・ ・・・・・・・・・・・・ ・・・ ・・・ ・・・・・
海頭に横はり、幕々として浪華城頭を圧す、雷電か、霹靂か、将た噴火か、
|
汗牛充棟
(かんぎゅう
じゅうとう)
蔵書がきわめて
多いことのたと
え
鬻(ひさ)き
崛起
(くっき)
にわかに事が
起こること
迸(ほとばし)る
匝
(こうそう)
ぐるりと囲む
さま
遶(め)くる
遵(したが)ひ
亜夫細柳
匈奴征討のために
細柳の地に陣を置
いた漢の将軍周亜
夫は、軍規を徹底
させ厳重な戦闘態
勢をとった、
柳営の語源
鏖殺
(おうさつ)
皆殺し
茅淳
(ちぬ)
大阪湾
幸田成友
『大塩平八郎』
その106
|