Я[大塩の乱 資料館]Я
2016.8.14

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「大塩の乱関係論文集」目次


『大塩平八郎』 その89

国府犀東(1873-1950)

(偉人史叢 8)裳華書房  1896

◇禁転載◇

焚死の人大辟の人(3)

管理人註














死後の刑


















叛逆の罪
名

奉行は平八父子の屍を挙けて、之を網輿に載せて、町奉行所に送くる。台庁           ● ● ● は刑名を宣告して、叛逆罪を以つて之に擬し、                            ● ● ● ● ● ● ● ●   上略、不恐公儀仕方、実に不届至極に付、多人数とも塩漬の死骸引廻の    ●   ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ●   上、大坂に於て磔に行ふ者也             ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ● ● ○ ○ ○ ○   ● ● ● ● ● ● との令状下たり来れり。然らば平八父子は其の死後に於いて、塩漬のまゝ康 ● ● ● ● ● ● ● ●   ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ 衢を引き廻はされ、十字架に挂つて藁街に叛逆罪を以つて処刑せられたるも ○ ○ ○ のなり。而してその連累の者は悉く誅戮を受く、 ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○   ○ ○ ○ ○ 平八はその死後に於いて叛逆の罪名を以つて大辟の刑に処せらる。焚死の平 ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ 八は大辟の平八となれり、平八地下此の罪に服するや否や、法理の原則とし て刑は一身に止まり、罪は死と共に亡ふもの、然かも封建の世、法理未だ明         ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ ・・・・・ ならずと雖とも、焚死せる平八を首服せしめん様もあらざるに、之に科する ・・・・・・・・・・・・  ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ に叛逆の罪名を以てするは、豈に正鵠を得るものとせむや、果然として平八 の罪名は、当時台庁に於ける一大問題となれり、矢部駿河守定謙は、当時勘 定奉行として台庁に列席せり、其の際定謙は平八に関して尤も公平の論を持 せり、為めに寃を被むり、禍、立ところに来たる、正論議は群矇の毎に怪 しみ憚かるところ、定謙の意見は竟に衆議の為めに遮られたり、此の際定謙 が庁庭に争いたる擬案一班を以つて、後之を藤田東湖に語りたるに聞け、定 謙の論、之を現今進歩せる法理の原則に照すも、条理炳然たるものあるを見 る、




幸田成友
『大塩平八郎』
その164








康衢
市中の大通り

挂(かか)つて




大辟
重罰、死刑の意

























炳然
(へいぜん)
明らか


『大塩平八郎』目次/その88/その90

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