Я[大塩の乱 資料館]Я
2014.8.1

玄関へ

「大塩の乱関係論文集」目次


「大塩平八郎」
その6

真山青果(1878-1948)

『真山青果全集 第4巻』 大日本雄弁会講談社 1941 収録

◇禁転載◇

第一幕 (6)

管理人註
  

平八郎 (両手を握り合せて、一所を見詰める)おれは然うは考へたくな    いのだ。仮に跡部を敵としても、然う容易に敵を賤しめたくないな    ア。憎いやつほど、強く、大きく見たい。(微笑に紛らしつゝ)貴    公等は敵を然う容易に賤しめて、こゝろに何んの不安も感じないか。    おれは、性癖かなア……おれは憎い敵ほどぐツと睨んでゐないと、                            あひて    真剣になれない、力がはいらない。諸君が然う容易に対者を賤しめ    て、満足してゐるのを見ると、寧ろ羨しいやうな気がする。 河 合 駄目だ/\。(とつぜん煙管を叩いて)九郎右衛門、お暇致さう。    先生は今日、饑饉の第二策とやらに御自身酔ひきつてござる。然う    云ふお方なのだ。何よりも先づ、お手前さまの智謀にお酔ひなさる    人だ。(と、立ち上る) 平八郎 (嚇ツとして)郷左、来い、坐れ。 河 合 (立つたまゝ)何か御用でござりますか。 平八郎 えゝ、坐れ。 河 合 (忿然、対坐して)坐りました。 平八郎 (わが脇差を前に置き)これで跡部を斬つて来い。 河 合 何んです。 平八郎 男子、憤りを口にするとき、手すでに刀を抜いてゐる筈だ。それ    ほど跡部の所業を憎むなら、何故彼の役宅に踏み込んで、死をもつ    て彼の非を責めないのだ。危きを見て命を致す、聖教の文字を何ん    と読んだ。    河合、無言、平八郎を睨む。 平八郎 行ひて遂ぐる能はざるは恥なり。又、怒りて威なき者は犯さる、    とも云ふ。貴様は跡部と差し違へて死ぬ決心をなす時、初めてその    言葉を発すべきだ。怯懦者。 河 合 ……                            とく  え 平八郎 怨誹の言は婦女子すら恥辱とする。汝の如き者は、得に得て義に    失ふ小人だ。一同も然うだ。貴公等は、最後には、跡部に謀叛する    だけの確信あつて、今それを中斎に迫るのか。たゞ、自家頭上の利    害のために紛擾して、天下の災変のために憂ふるところを知らぬと    は何事だ。心を太虚にして良知の心眼を開け。真に憂慮すべき大事                                 いた    は、天下蒼生の上にある。数年打ち続いて天変地妖、災害ならび臻                  さつぼつ      けいわく あら    り、昨夜も天文を案ずるのに、殺孛西北に出でて惑の見はるゝは、    殺伐争乱の気が既に国内に動いてゐるのだ。現に先々月は甲州にも    暴民が一揆を起し、近く南部領内にも百姓騒動が起りかけてゐると    いふではないか。おのが損得利害のために、天下の憂患を打ち忘れ    てゐられるか。    一同、粛然として聞く。河合、俯向く。 平八郎 (やゝ声色を和らげ)おれとて組替の話は愉快に聞いてゐるので    はない。が、然し、一段の工夫を要するのはこの時だ。これが若し    反対に西組与力に何か失策があつで、われ/\東組から支配役を出    して、彼方が組替の恥辱をうけるやうな場合であるとしたら、貴公    等は果して中斎に奉行の不法を訴へてくるだらうか。来ないぞ、必                 ひそ    らず来ない。(微笑)みな心私かにわが組の手柄と誇つて、西方の    難儀を悦ぶこゝろがあるだらうと思ふ。して見れば、悦ぶものも悲    しむものも、共に私情、私慾だ。正義に発する霊性ではない。寵辱           すうひ         わし       ひら    に驚き、禍福に趨避するの愚は、既に俺は剳記中に蒙を啓いてある    筈だ。「這裏、微かに禍福生死の念の在るあらば、則ち格物の物字、                          決して分暁明白なること能はざる也。 如し其念なければ既ち心、    解了す」と、書いてあつた筈だ。若し跡部が大法を紊して、無謀の    組替を行ふならば、その時こそ立つて断然として争ふのだ。風説に             ていたらく    うろたへ愁訴哀願の為体は、われからわれを卑屈して敵に威光をつ    けるやうなものだ。行ふには自から時がある。時機だ。 庄 司 (深く頷首いて) 然う仰しやれば、事の未然に騒ぎ出して、却      つて破綻を招いても困ります。 渡 辺 こりや少し……軽率でしたかな。




幸田成友
『大塩平八郎』
その104





































































































『洗心洞箚記』
(本文)
その107


「大塩平八郎」目次/その5/その7

「大塩の乱関係論文集」目次

玄関へ