Я[大塩の乱 資料館]Я
2002.8.13訂正
2002.4.26

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大塩の乱関係論文集目次


「『浪華異聞』を読んで」

その3

向江 強

大塩研究 第20・21合併号』1986.3 より転載


◇禁転載◇

 次に自己保身のため主謀者大塩平八郎を悪しざまに申立て権力者に迎合しようとしたものもいた。その代表的なものに返り忠を行った平山助次郎、吉見九郎右衛門がいる。とくに吉見九郎右衛門の場合、密訴状に「伜へ可娶積之養娘を竊に自分之妾にいたし男子出産仕候ニ付殊の外相歓此上にて弥一議決心之旨私へ相咄し叱間敷と申聞候。俗人にも相劣候儀不埒之至且後来(栄)之望有之儀顕然にて最初より謀反之企を以人を勧候ハヽ承知仕者無之儀ハ勿論之儀ニ付、無欲天道を以て事を謀候様名分を立、愚昧之者をたぶらかし同者に引入」(『警世矯俗』八一・八二頁)れたと申し立てている。『浪華異聞』ではこの下りは次の様になっている。「同人(平八郎−筆者)居間江此もの(吉見九郎右衛門−筆者)を呼寄、此度男子出生いたし候処、一体平八郎家筋之儀ハ近来大塩与名乗候得共、実ハ今川義元之庶流ニ付右出生之男子は本姓に復し今川弓太郎与為名乗候積、右体名家の末族旁一儀決心之旨咄聞、殊之外悦喜之体ニ付不審ニ存右出産之始末相尋候処、平八郎養子格之助江娶合候約諾ニ而先達而養育いたし置候摂州般若寺村忠兵衛娘三年(みね)を平八郎竊ニ妾ニ召仕男子出産有之候儀之旨申聞、平生理義を講候身分ニハ別而不似合之取業、殊ニ本姓ニ復シ候抔全後栄之望顕然ニ而最初反謀之企を以人を勧候与茂同意致間敷ハ勿論ニ付己を捨民を救候由盟を立愚昧之ものを誑惑いたし候儀与初而心附」いたとある。平八郎が橋本忠兵衛の娘みねと密通して弓太郎が出産したというのは、全く吉見九郎右衛門のデッチ上げであり、幕府が大塩父子の裁許書の中でこのことをあげているのは、「既往に遡り、罪状に関係なき個人の非行を載せたは大いなる失態」(幸田成友)であり、「大坂市中の者抔平八郎の事を有難がるもの多き故、其の人気をくじく為か。必竟此度の罪科ハ反逆にて、ケ様の事ハ仮令実にもせよ其身一分の科にて、此度の罪科にて申さバ枝葉の事也。書載られずとも然るべくや」(坂本鉉之助)というのが今日までの通説である。

 『浪華異聞』ではこの問題で供述しているのは、吉見九郎右衛門の外、平八郎の妾ゆう・橋本忠兵衛の娘みね、橋本忠兵衛、安田図書、曽我岩蔵の五人である。ここではとりあえず五人の供述を紹介する。  大塩平八郎 妾 ゆう

「右之者吟味仕候処大坂曽根崎新地壱丁目和市娘ニ而ひろ与申候節、主人平八郎儀和市方江折々罷越酒之相手ニ罷出候儀茂有之候処、与風密通いたし、其後文政元寅年中平八郎差図ニ随ひ一旦且摂州般若寺村忠兵衛方江被引取、同人妹之積ニ而改而平八郎妾ニ相成、ゆう与改名いたし候処、去ル丑年中同人存寄ニ任セ剃髪いたし、其以前和市八病死いたし候間忠兵衛方江立帰、去ル辰年中尚又平八郎方江被呼戻勝手向世話いたし居候処、兼而同人養子格之助江嫁合候積リニ而引取置候右忠兵衛娘三年(みね)を去ル午年七月頃平八郎妾ニ召仕、去々申十二月三年(みね)儀男子出生いたし候処」とある。

 橋本忠兵衛娘 みね

みねについては、ゆうの本文のあとに朱書で、「本文三年(みね)里つ最初大坂町奉行ニ而相糺候処三年(みね)ハ摂州般若寺村忠兵衛娘ニ而去ル寅年中大塩平八郎任申忠兵衛差遣、追而ハ同人忰格之助江嫁合候由之処、去ル午年七月中平八郎任申与風及密通同人妾ニ相成其後弓太郎出生の儀ニ而平八郎企之次第ハ更ニ不存」、としている。

 大塩格之助若党 曽我岩蔵

「格之助江嫁合候約諾いたし候前書忠兵衛娘三年越平八郎妾ニ召仕男子出生いたし候処元来大塩本姓ハ今川之由を以右男子弓太郎与為名乗右ニ付而茂異心差募り候体ニ相見」とある。

 般若寺村庄屋 橋本忠兵衛

「此もの娘ミ祢儀末々同人養子格之助江可嫁合内存ニ付差越候様任申、身分柄不都合之議与は存候へども其意ニ随ひ去ル寅年中平八郎方江差遣候処、去々申十二月日不覚同人江面会之節み祢義格之助妻ニ可致段最所約束いたし置候得とも尚勘弁之上同人江ハ平八郎叔父摂州吹田村神主宮脇志摩娘いくを可嫁合与存候付貰請候ニ付み祢儀は去ル午年以来竊ニ平八郎妾ニ召仕既ニ此度男子出生いたし候旨咄聞、兼而之言行不似合之儀、俗人ニも劣り候振舞ヒ与は存候へども素平八郎権威ニ恐伏いたし居候事故、彼是之挨拶ニも不及其儘ニいたし置」、としている。

 勢州山田外宮師職 安田図書

「平八郎儀養子格之助江可嫁合積リニ而兼而引取養育いたし置候摂州般若寺村忠兵衛娘み祢ヲ妾(妻)ニいたし一子出生之由塾中之ものども及噂候を承り弥不帰依ニ相成候」とある。

 以上が五人の申口である。この姦通事件は吉見九郎右衛門の密訴をもとに捏造されたもので、ゆう、みね、忠兵衛、岩蔵、図書などの関係者は評定所によってすべて同様の申口を強制され、この捏造の裏付けに利用されたにすぎないという説(宮城公子『大塩平八郎』)もあって、五人の申口をただちに信用する訳にはいかない。しかしこれがすべて事実でないとするには論証が必要である。勿論事実だと断定するからには、それなりの論拠が呈示されなければならない。いずれにしても、こうした問題を扱うさいに注意しなければならないのは予断をもって臨んではならない事である。


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(異説日本史)「大塩平八郎」その10


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