『現実を直視して』善文社 1921 より ◇禁転載◇
大塩中斎三十七歳にして官を辞し、一意諸生を誨へ、諄々として倦む所なし、学漸く精しく、教化亦日に大なり。然るに天保五年甲午以来、年荐りに饑ゑ、五穀稔らず、七年丙申に至りて、飢饉甚しく、春より夏に亘りて、淫雨連天、濠々として日輪を見ざること数十日に及ぶ。秋に至りて烈風暴雨あり、収穫殆んど絶無となる。斯くて丙申の年は饑寒の中に暮れて、丁酉の春は来れり、されど春風は愁雲を払ふに由なく、天下の饑饉は日に甚しきを加へて、道路に餓死する者日に幾十百人なるを知らず。然るに所謂豪商なる者は、貨を擁し、穀を積み、笑つて餓
の野に満つるを眺め、有司等は却て富豪等と酒色の間に相遂追して、毫も民の痛苦を顧みず。是に於てか中斎は日夜に奔走して、人民を救助せんとすればども、大阪市上、陽に中斎の熟誠に感ずる者はあれど、敢て資を捐して中斎の志を成さしめんとする者なし。中斎元旦の詩に曰く、
新衣着得祝
新年
。羹餅味濃易
下
咽。忽憶城中多
菜色
。一身温袍愧
干天
。*1
と。中斎是に於て一切人を頼むの念を去り、独力救済を企て、遂に堪へずして乱を大阪に起すに至れり。人其志を憐まざるはなし。
看よ中江藤樹と、大塩中斎と、其風
の異なること斯の如く。其の気風の異なること斯の如し。然れども胸中に誠意の燃ゆるあり、発して熱情となり、金石を熔かし、鉄壁を貫くに至りては一なり。藤樹は曰く、樹欲
静兮風不止。来者可
追帰去来と。中斎は曰く、忽憶城中多
菜色
。一身温袍愧
干天
と。一は是れ親を思ふの至情なり。一は是れ民を憐むの至情なり。身大洲に在りて重く藩侯に用ひらるゝと雖も、子養はんと欲して親待たざるの一事に想到するや、矢も楯もたまらず、一意帰養に志し、他を顧みるに遑なきは是れ中江藤樹なり。身与力の隠居として、天下の学者間に盛名を馳せ、諸生踵を接して其門に集ると雖も、一朝城中に菜色多きを憶ふや、一身の温袍天に愧づるの情に堪へず、富豪に説きて得ず、書巻を売却して足らず、遂に慨然剣を按じて決起するに至りしは大塩中斎なり。一は孝、一は侠、其の発する所の形式同じからずと雖も、胸中の至誠、死に至りて徹底する所は、全く其軌を一にす。大塩中斎が大虚の解釈は、実に彼が邪奸の輩を見て赫然
憤怒する所以と、可憐の窮民を見て
然襟を湿ほす所以と、
共に之を立証するに足れり。曰く、
心帰
乎太虚
、則太虚乃心也、然後当
知
道与
学之無
崖際
也、夫人之嘉言善行、即吾心中之善、而人之醜言悪行、亦吾心中之悪也、是故聖人不
能
外
視之
也、斉家治国平天下、無
一不
存
心中之善
、無
一不
去
心中之悪
、道与
学無
崖際
可
見矣、或曰、如
子之説
、則悪人之罹
刑、亦刑
聖人之心
者乎、曰、然矣、是即去
吾心之悪
之道也、然而不
得
不
悲也、豈亦可
歓喜
乎、曰、善人之遇賞、亦賞
聖人之心
者乎、曰、然矣、是即存
吾心之善
之道也、然而不
得
不
喜也、豈可
娟嫉
乎、只娟
嫉人之善
、歓
喜人之悪
者、以
吾心
為
我物
、乃一小人、而非
聖人太虚之心
也、*2
又曰く、
心帰
乎太虚
、以容天下之善、則天下之善、皆為
我有
、豈不
亦大
乎。*3
又曰く、
有血気者、至
草木瓦石
、視
其死
、視
其摧折
、視
其毀壊
、則令
感
傷吾心
、以
本為
心中物
故也、