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おちつ
斯くして一同の心は聊か沈着いて来た如うだが、一行の前途は猶頗る暗
澹たるものである。
ひど
『ヤ!先生、大分酷く降つて来ましたよ。』
Y君が叫ぶのも無理は無い、積りさうにも思はれ無かつたチラ/\雪が
な
吹雪と化つて火焔の如く八方に渦巻きつゝある。日は暮れんとする。風は
ます/\烈しくなりさうである。
こんな ところ
『斯様場所に魔誤々々してゐたら、どんな目に会ふかも知れませんぜ。』
『もう墓探しは一先づ打止めとしませうぢやありませんか。』
ふたり へ た ば
YMが斯ういつて、そこへ平太張つたので、僕は、
『しまつた!』
と一時に不安に襲はれた。が、まてしばし、中斎先生が天保三年の冬、
うか と
伏見から江州に入り、琵琶湖に泛んで比良の麓に、中江藤樹の遺跡を訪
はれた帰り路に、大溝から坂本まで湖上の人となられたが、折しも起る
てんひやう さなが と か こ かじとり なすゝべ
天に船は宛ら木の葉の如く、櫓も棹も波に奪られて水夫揖取も為術無
ひたすら
く、船中誰一人生きた心地のしたものゝ無い中に、神色自若として只管
誠敬を念じて泰然たる中斎先生の態度に、神の如き威厳があつたとか。
是即ち「大悲の願船に乗じて光明の広海に浮びぬれば、至徳の風静に衆
禍の波転ず云々」の親鸞の信仰ではないか。中斎党であり、親鸞信徒を
以て自ら任じてゐるだけに、却つて爾うした信仰から離れてゐるのであ
あさま あはれ
る。と我と吾身の浅猿しさが憐まれたが、実際憫むべき不信の輩だから
し かたま
仕方が無い。否、不信どころでなく、知らず識らず虚偽に凝つて居たこ
た
とに気がついて来て、恐ろしさに忽ち起つて南無とばかりに、懺悔か、
祈祷か、帰依か、哀願か、我を忘れて合掌拝伏してゐると、不思議な加
護が加はつたかに思はれて、暗澹たる心の底に一脈の光明が輝いたかに
おも かへ
信へて切た。易の所謂上に剥して下に復る、即ち九陰窮つて一陽まさに
生ぜんとするものか。
どす
『先生!黝黒い複雑な唐櫃六甲には麓の多聞寺から、心経の彫り付け
られた彼の頂上の蜘蛛ケ嶽までには観音の三十三身が、三十三ケ所の
いはゝな
小さな石室に祀られてゐますし、巌鼻や路傍の其処此処に六地蔵だの、
不動だのが立つてもゐまして、山の姿から樹木の趣までが何だか抹香
臭く、見るからに仏教的ですが、稲荷や猿田彦に初まつて白山権現祠
きよらか
に終る浄潔な此の船坂六甲は慥に神道的だと思ひます。役の行者や、
お きよらか
中斎先生も其の時代及び性行から推して、寧ろ清浄な崇高な神道的人
物の如うにも考へられますから、茲で大祓を上げて頂きたいものです
ね。』
い
と、曰つたM君の目にはかなはぬ時の神頼みといつた真剣さが閃いて
ゐる。
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『洗心洞箚記』(本文)
その252
『教行信証行巻』
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