Я[大塩の乱 資料館]Я
2011.4.5

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大塩の乱関係論文集目次


『大阪府誌 警察史』

その26

大阪府 1903 より


◇禁転載◇

 代官は、直接農事に関係あるを以つて、寛永二十一年、幕府は、其の属 僚たる手代の事あるに際し、百姓町人等に無益の掛り物を出ださしめ、以 つて奢侈を極め、又、百姓町人等と縁組をなし、事に臨みて、往々偏頗の 処置をなすことあるを厳禁し。  又延宝八年、百姓取扱方に付き、民は国の本なれば、代官は常に民の辛                               おこた 苦を察し、飢寒等の愁なからしむべし。国寛なれば、民奢り、業に懈る。 又、官民間遠きに随ひて、上は下を疑ひ、下、又、上を疑ふ。故に代官は 是等の弊を断絶せんが為、諸事之れを手代に放任せず、宜しく自身に於い て之れを為すべし。而して名主組頭等に諸法度を申聞かせ、此等をして違 背することなからしむべし。 若、犯罪の重からざるものは、其の身分に応じ、堤川除、又竹木を植立て しむる等を以つて、過怠に充て、重きものは、之れを町奉行所へ訴へ、或 ひは死罪、或ひは牢舎等、一に奉行の指図に任ずと令せしが、手代役人等 の非行益々甚しく、御料地の風水旱等に際し、名主等と謀りて、賄賂を貪 りて、各私利を逞うし、百姓の困難甚しきを以つて、正徳三年に至り、更 に厳密なる法度を設け、姦邪私曲のこと、なからしめき。    .  以上を、大阪に関係ある諸法度の概賂とす。尚、左に大阪に関して発せ られし法度の概賂を抄記せん。  万治三年三月十三日、老中稲葉美濃守、阿部豊後守、松平伊豆守、酒井                       ちょうじ 雅楽頭より、大阪城代、定番、及び町奉行へ鉄砲停止に付きて、達して云 はく、幕府は代々大阪近辺に於いて、鉄砲を以つて鳥を打つべからざる事 を仰出されたるに因り、其の意を了し、御料、私領共、違背する者無から しむべしと。 ついで翌寛文元年、幕府は、僧侶の不如法を戒め、僧侶たる者は、各治法 ありて、道徳上、世人の規範となるべきものなるに、近来之れに反し、其 の風俗宜しからず、殊勝の聞えあるもの、甚稀なり.是れ畢竟、本寺、又     ふれがしら は役寺、触頭等の示し方、等閑なるを以つてならん.以来、本寺、役寺、 触頭等は、常に油断なく心を附け、不如意の者を絶ち、示教の行届くこと に勉むべし。若、本寺、役寺、触頭等にして、不律不如法の聞えあり、又、 利慾に耽り、寺務の疎略なるか、其の他、僧侶の身に不当の輩ある時は、 仮令大地本山の寺院たりとも、用捨なく厳科に処すべしと。


幸田成友『大塩平八郎』その29


『大阪府誌 警察史』目次/その25/その27

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