Я[大塩の乱 資料館]Я
2011.4.23

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大塩の乱関係論文集目次


『大阪府誌 警察史』

その39

大阪府 1903 より


◇禁転載◇

 以上の内、遠島の刑に宣告せられし者は、十人を嵩みて、各其の島ゝに 出帆せしめ、其の入牢の七箇月以上に亘るものは、其の人員十人に充たず とも、特に出帆せしむるものなり。而して其の出帆前に当り、囚人の身寄 より、届物の書附を町奉行へ提出し、町奉行は、之れを牢屋敷に命じて、 其の出帆前日に於いて、各其の届物を船手番所へ持ち来たらしむ。其の額 は、一人に付き、米二十俵、麦五俵、銭二十貰文、金二十両(金は銭に直 して差出ださしむ)、以下を制限し、刃物、書物、火道具等の類は、総べ て之れを厳禁せられ、若、又身寄より届物なきに於いては、奉行所より手                   あがりや 当銭として、一人に付き雑人は金二分、揚屋者は一両、揚座敷者は二両、 何れも銭に換へて、下賜せらる。而して出帆の前日、町奉行は、人別島割 帳面を御船手へ引渡し、出役与力双方二人、牢屋見廻東西与力各一人、船 手番所にて、届物の品々を改め、以つて御船手に渡す。 夫れより牢屋見廻は、下男をして牢屋敷詰所前へ筵を敷き、遠島の囚人一 同を手鎖腰縄にて召し連れ、座せしめ、鎰役、医師は椽側に座を構へ、牢 屋見廻は、明日出帆、並に島割帳、また届品、手当品等を申渡し、且、囚 人の望に仍り、一人四百文許の買物をなして給す。又、医師は、病人には 牢内にて用ひ来たりし医薬、膏薬等を渡し、帰牢せしむ。 出帆の当朝、出役一同立合ひ、囚人は、牢前に於いて、侍、出家は駕籠、 雑人は持駕籠に乗せ、みな青細引にて縛り、揚屋ものは羽カイ〆にし、銭 かます は叺に入れ、木札を附けて、銘々の前に並べ置き、鎰役は出牢証文を以つ て、囚人の名前、肩書、年付、入日、掛り付等を改めて、出役与力に渡し、 下役同心、若干名(囚人の多寡に仍る)附添ひ、裏門より御船手番所へ出 で、夫れより一同、船に乗り込み、其の流し場たる薩摩五島の島々、隠岐               るざん 国、壹岐国、肥後の天草等へ流竄せらる。但、船行中、揚座敷者、並に女 は別囲たり。 重追放は田畑、家屋敷、家財を没収せられ、其の御構場は武蔵、相模、上 野、下野、安房、上総、下総、常陸、山城、摂津、堺、奈良、長崎、東海 道筋、木曾路筋、申斐、駿河、尾張、紀伊等にして、中追放は、同じく田 畑、家屋敷を没収せられ、御構場は江戸十里四方、京都、大阪、堺、伏見、 奈良、長崎、束海道筋、木曾路筋、日光海道筋、申斐、水戸、名古屋、如 歌山とす。 又、軽追放は、其の闕所中は、追放と同一にして、其の御構場は、江戸十 里四方、京、大阪、東海道筋、日光街道筋、及び甲府等とす。


苓北町 横山太郎吉ゆかりの地
「大塩乱」その11『大阪市史 第2巻』


『大阪府誌 警察史』目次/その38/その40

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