森 鴎外 (1862−1922)
『大塩平八郎・堺事件』
1940 岩波文庫 所収
暴動の翌年天保九年八月二十一日の裁決によつて、磔に処せられた二十人は左の通である。
大塩平八郎 | 美吉屋にて自刃す | |
大塩格之助 | 東組与力西田青太夫実子 | 美吉屋にて死す |
渡辺良左衛門 | 東組同心 | 河内田井中にて切腹す |
瀬田済之助 | 東組与力 | 河内恩地にて縊死す |
小泉淵次郎 | 郡山柳沢甲斐守家来春木弥之助実子、 東組与力養子 | 東町奉行所にて斬らる |
庄司義左衛門 | 河内丹北郡東瓜破村助右衛門実子、 東組同心養子 |
奈良にて捕はる |
近藤梶五郎 | 東組同心 | 自宅焼跡にて切腹す |
大井正一郎 | 玉造口与力伜 | 京都にて捕はる |
深尾才次郎 | 河内交野郡尊延寺村百姓 | 能登にて自殺す |
茨田郡次 | 河内茨田郡門真三番村百姓 | 支配役場へ自首す |
高橋九右衛門 | 河内茨田郡門真三番村百姓 | 支配役場へ自首す |
柏岡源右衛門 | 摂津東成郡般若寺村百姓 | 支配役場へ自首す |
柏岡伝七 | 同上伜 | 自宅にて捕はる |
西村利三郎 | 河内志紀郡弓削村百姓 | 江戸にて願人となり病死す |
宮脇志摩 | 摂津三島郡吹田村神主 | 自宅にて切腹入水す |
橋本忠兵衛 | 摂津東成郡般若寺村庄屋 | 京都にて捕はる |
白井孝右衛門 | 摂津守口村百姓兼質屋 | 伏見に往く途中豊後橋にて捕はる |
横山文哉 | 肥前三原村 *2 の人、 摂津東成郡森小路村の医師となる | 捕はる |
木村司馬之助 | 摂津東成郡猪飼野村百姓 | 捕はる |
竹上万太郎 | 弓奉行組同心 | 捕はる |
松本隣太夫 | 大阪船場医師伜 | 捕はる |
堀井儀三郎 | 播磨加東郡西村百姓 | 捕はる |
杉山三平 | 大塩塾賄方 | 伏見に往く途中豊後橋にて捕はる |
曾我岩蔵 | 大塩若党 | 大阪にて捕はる |
植松周次 | 瀬田若党 | 京都にて捕はる |
作兵衛 | 天満北木幡町大工 | 京都にて捕はる |
金 助 | 摂津東成郡下辻村猟師 | 捕はる |
美吉屋五郎兵衛 | 油懸町 *3 手拭地職 | 自宅にて捕はる |
浅 佶 | 瀬田中間 | 捕はる |
新兵衛 | 河内尊延寺村無宿、深尾才次郎の募に応ず | 捕はる |
忠右衛門 | 同村百姓、同上 | 捕はる |
上田孝太郎 | 摂津東成郡沢上江村百姓 | 捕はる |
白井儀次郎 | 河内渋河郡衣摺村百姓、白井孝右衛門従弟 | 捕はる |
卯兵衛 | 摂津東成郡般若寺村百姓 | 捕はる |
大西与五郎 | 東組与力、平八郎の母兄 | 捕はる |
白井彦右衛門 | 孝右衛門伜 | 大和に往く途中捕はる |
橋本氏ゆう | 実は曾根崎新地茶屋町 大黒屋和市娘ひろ | 京都にて捕はる |
美吉屋つね | 五郎兵衛妻 | 自宅にて捕はる |
安田図書 | 伊勢山田外宮御師 | 淡路町附近にて捕はる |
寛 輔 | 堺北糸町医師、西村の姉壻、 西村の逃亡を幇助す | 捕はる |
正 方 | 河内渋河郡大蓮寺隠居、 杉山の伯父にして杉山をして剃髪せしむ | 捕はる |
当時の罪人は一年以内には必ず死ぬる牢屋に入れられ、死んでから刑の宣告を受け、塩詰にした死骸を磔柱などに懸けられたものである。これは独平八郎の与党のみではない。平八郎が前に吟味役として取り扱つた邪宗門事件の罪人も、同じ処置に逢つたのである。
近い頃のロシアの小説に、を衝かぬ小学生徒と云ふものを書いたのがある。我事も人の事も、有の儘を教師に告げる。そこで傍輩に憎まれてゐたたまらなくなるのである。又ドイツの或る新聞は「小学教師は生徒に傍輩の非行を告発することを強制すべきものなりや否や」と云ふ問題を出して、諸方面の名士の答案を募つた。答案は区々であつた。
個人の告発は、現に諸国の法律で自由行為になつてゐる。昔は一歩進んで、それを褒むべき行為にしてゐた。秩序を維持する一の手段として奨励したのである。中にも非行の同類が告発をするのを返忠と称して、これに忠と云ふ名を許すに至つては、奨励の最顕著なるものである。
平八郎の陰謀を告発した四人は皆其門人で、中で単に手先に使はれた少年二人を除けば、皆其与党である。
平山助次郎 | 東組同心 | 暴動に先だつこと二日、東町奉行跡部良弼に密訴す |
吉見九郎右衛門 | 東組同心 | 暴動当日の昧爽、東町奉行堀利堅に上書す |
吉見英太郎 | 九郎右衛門伜 | 九郎右衛門の訴状を堀に呈す |
河合八十次郎 | 平八郎の陰謀に与し、半途にして逃亡し、遂に行方不明になりし東組同心郷左衛門の伜なり、 陰謀事件の関係者行方不明になりしは、此郷左衛門と近江小川村医師志村力之助との二人のみ | 九郎右衛門の訴状を堀に呈す |
(了)
註*1 恩地 → 恩智
*2 三原村 → 三沢村
*3 油懸町 → 油掛町
「大 塩 乱」(大阪市史)
「御触」(乱発生後)
「高札」(高麗橋など)