無二字乃
是聖賢
喩得善足
破駁雑口
耳之胆
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学堂東掲
入 吾門 欲 為 人、則要道 問学 以尊 徳性 、誌 新吾先生之語 及 学者
以掲示、宜 識察 焉、
堯舜事功、孔孟学術、此八字是君子終身急務、或問、堯舜事功、孔孟学術、
何処下 手、曰以 天地万物 為 一体 、此是孔孟学術、使 天下万物各得
其所 、此是堯舜事功、総来 是一箇念頭 、
脱 尽気習二字 、是英雄、
学必相講而後明、講必相直而後尽、孔門師友不 厭 窮問極言 、不 相然諾
承順 、所 謂審問明弁也、故当 此時 道学大明、如 撥 雲披 霧白日青天
無 繊毫障蔽 、講学須 要 如 此、無 堅自是之心 、悪人相直也、
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上吐下瀉之疾、雖 日進 飲食 、無 補 於憔悴 、入 耳出 口之学、雖 日
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事 講究 無 益 於身心 、
只人々去 了我心 、便是天清地寧世界、
自 徳性中 来、生死不 変、自 識見中 来、則有 時而変矣、故君子以 識
見 養 徳性 、々々堅定、則可 生可 死、
昏弱二字、是立身大業障、去 此二字 不 得、做 不 出 一分好人 、
世間無 一件可 驕 人之事 、才芸不 足 驕 人、徳行是我性分事、不 到
堯舜周孔 、便是欠缺、便可 自耻 、如何驕 得人 、
天下至精之理、至難之事、若以 潜玩沈思 、求 之無 厭無 躁、雖 中人以
下 未 有 不 得者、
読書能使 人寡 過、不 独明 理、此心日与 道、但邪念自不 得而乗 之、
古之学者在 心上 做 工夫 、故発 之外面 者、為 盛徳之符 、今之学者在
外面 做 工夫 、反 之於心 、則為 実徳之病 、
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猪俣為治
「大塩平八郎」
その18
山田 準
『大塩中斎』
その15
井上哲次郎
「大塩中斎」
その17
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