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中斎は初め功業気節を以て祖業を継がんと欲し、既にして自心の陋を
耻ぢて儒学に志ざした。而かも汎濫其要を得ざるに苦しんだが、明儒呂
新吾の呻吟語を得て、之を読むに及び、病者の呻吟、一々自己の病に中
り、恍然蒙を啓き、光明を認めた。是れ中斎心学転向の第一機である。
是に於て中斎は洗心洞の学則を整ふるに当り、学堂の東面に左の如く掲
出した。中斎が呻吟語に心契せし所那辺に在りしかを察せねばならぬ。
学堂東掲
入 吾門 欲 為 人。則要 道 問学 以尊 徳性 。誌 新吾先生之語及 学
者 以掲示。宜 識察 焉。
堯舜事功、孔孟学術。此八字是君子終身急務。或問。堯舜事功。孔孟
学術。何処下 手。曰以 天地万物 為 一体 。此是孔孟学術。使 天下
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万物各得 其所 。此是堯舜事功。総来 是一個念頭 。脱 尽気習二字
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是英雄。
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上吐下瀉之疾。雖 日進 飲食 。無 補 於憔悴 。入 耳出 口之学。
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雖 日事 講究 。無 益 於身心 。只人々去 了我心 。便是天清地寧
世界。
自 徳性中 来。生死不 変、自 識見中 来。則有 時而変矣。故君子
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以 識見 養 徳性 。徳性堅定則可 生可 死。
世間無 一件可 驕 人之事 。才芸不 足 驕 人。徳行是我性分事。
不 到 堯舜周孔 。便是欠缺。便可 自耻 。如何驕 得人 。
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古之学者在 心上 做 工夫 。故発 之外面 者、為 盛徳之符 。今
之学者在 外面 做 工夫 。反 之於心 。則為 実徳之病 。
事々有 実際 。言々有 妙境 。物々有 至理 。人々有 処法 、所
貴 乎学 者学 此而已。無 地而不 学。無 念而不 学。不 会 其
全 。 不 詣 其極。其不 止。此之謂 学者 。今之問学者。果如
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是乎。留 心於浩澣博雑之書 、役 志於靡麗刻削之辞 。耽 心於鑿
真乱 俗之技 。争 勝於煩労苛瑣之儀 。可 哀矣。而酔夢者。又貿々
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昏々。若 癡若 病。華衣甘食。而一無 所 用 心。不 可 哀哉。是
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故学者貴 好 学貴 知 学。
天地万物。其情無 一毫不 与 吾身 相干渉 。其理無 一毫不 与
我身 相明 。
凡字不 見 経伝 。語不 根 義理 。君子不 出 諸口 。
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大学一部書。統 明徳両字 。中庸一部書。統 於修道両字 。(節略)
于時文政八乙酉正月十有四日
中斎、先づ呻吟語より悟入す、然らば右掲の十数條は、中斎学説の門
戸を為すものである。
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石崎東国
『大塩平八郎伝』
その44
『洗心洞箚記』(本文)
その1
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