Я[大塩の乱 資料館]Я
2015.5.18

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『通俗洗心洞箚記』
その100

大塩中斎著 下中芳岳(1878-1961)訳

内外出版協会 1913

◇禁転載◇

下巻 (14)一四 貧賤民に安んずと言へど

管理人註

横渠先生曰。「人多 言於貧賤。其 実只是計窮、力屈才 短、不営画耳。 若稍動得、恐未肯 安之。須是誠知 義理之楽於利欲也 乃能。」是可見仮道学者之情 矣。而味動字、物 触乎我所嗜与我 所餒、則以固非 虚体、為之所動、 而淪溺亦為塵俗、 自古至今、其人不 少。故吾輩宜真楽 義理、以実利 欲矣。否則未動者到乎前、 而安貧賤其自若 焉也。

 横渠先生は言はれた。    ○   ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○   ○ ○ ○   ○ ○ ○ ○  『人、多くは貧賤に安んずと言へど、其の実、たゞ是れ、 はかりごと きは   ○ ○ ○   ○たらざ ○ ○ ○ ○   ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ 計 窮まり、力屈し、才短るが為に、其の富貴営達を致すべ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○   ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ き事業を企画経営し得ざるのみである。若しやゝ動くを得ん ○ ○   ○ ○ ○あへ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○   ○ ○ ○   ○ ○ には、恐くは肯て之に安んじ得ぬであらう。然らば、是は、 ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ 誠に義理の利欲より楽しきを知れるの能では無い。』と。        えせ  此の語、世の仮道学者の情を洞見し得て切実なるものがあ る。殊に其の「動く」の字、頗る味深きを覚ゆる。世の貧賤                           に安んずと言ふものも、一たび外物の我が嗜む所、我が餒ゆ る所に触るゝあらば、本来、虚体ならぬ身の是非なさ、終に              ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ 其の物の為に動かされて、忽ち塵俗に淪溺して了ふ。斯様な                  とぼ 例は、古より今に至るまで、其の人に少しからずである。  されば、吾党の学人、真に義理を楽しみ、実に利欲を忘るゝ                   しから   ・・・・・ の人たらんことを期せんければならぬ。否ずは、常は貧賤に ・・・・・・・・・ ・・・・・ ・・・・・・・・・・・ 安んずと言ひつゝも、なほ一たび、誘惑物の己が前に来るあ ・・ ・・・・・・・・・・・ ・・・・・・・・・・・・ らば、それが為に心動かされて、自若として貧賤に安んじ得 ・・・・・・・・・・・ ぬことゝなるかも知れぬ。

                        然り然り。今の世斯の如き仮道学者の頗る多きを思ふ。

『洗心洞箚記』
(本文)その182
 


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