Я[大塩の乱 資料館]Я
2015.5.20

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『通俗洗心洞箚記』
その102

大塩中斎著 下中芳岳(1878-1961)訳

内外出版協会 1913

◇禁転載◇

下巻 (16)一六 悲しむべきでは無いか

管理人註

良知之学、不 但不、先毋 自欺也。而其功夫 自屋漏来、戎慎与 恐懼、不須萸 遺之也。一旦豁然 見天理乎心、即人 欲氷釈凍解矣。於 是当洒脱之妙無乎此、而世人 欺人自欺、是為習 俗。父之養子、子 之事父、君之使臣、 臣之事君亦於是、 自夫婦長幼朋友、 至師弟之教学、莫 皆不然矣。故遽語 之致良知之事、則 有駭而走者、有悪 而仇者、有嘲而棄 者、有笑而避者、 有桎梏之者。 有縲絏之者。 故良知之学亡乎天 下而不伝。只其不 伝也、人亦不 於聖賢之域、而皆 擾擾乎夢生酔死之 場、豈非乎。 若有先覚者、犯万 死、不疾告 也。鳴呼、当後之世、 先覚者抑誰歟。吾未其人也。噫。

                       ひと  良知を致して真に道徳的自覚に到達すれば、たゞ他を欺か ぬのみならず、先づ自ら欺くことが出来なくなる。而も其の くふう     (一) 功夫は修養法は屋漏に愧ぢざるより来る。如何に人なき隠微                        つゝ の間にありても、常に戎慎し、常に恐懼して、自ら敬しむこ   しばらく  わす とを須萸も遺れてはならぬ。かくて、一旦、豁然として、天 理の心に存して煌々として輝けるあるを悟り得れば、人欲の 私は忽ち氷釈凍解し、洒脱の妙此に超ゆるなきを知り得て、     ゆたか 心広く体胖なるを覚ゆる。然るを世の人、多くは、此の自覚 大悟に達するを得ずして、区々たる肉身の小我に囚はれ、他 を欺き自ら欺く。見よ父の子を養ふ、子の父に事ふる、君の                         しか 臣を使ふ、臣の君に事ふる、皆これ伝習の俗に随ッて然する 外、何等道徳的自覚も無くなッて居るのである。夫婦の和、 長幼の序、朋友の信より、師弟教学の関係に至るまで、一に 伝来の旧慣にこれ泥む外、何等自覚的意義をも含まぬのであ る。されば、此等の人々に対ッて、遽に良知を致して道徳的             ・・・・・・・・・・・ ・・・ 自覚に到るの事を語らば、駭いて走るものもあらう。悪んで ・・・・・・・・・ ・・・・・・・・・・・・ ・・・・ 仇するものもあらう。嘲ッて棄つるものもあらう。笑ッて避 ・・・・・・・・てがせあしがせ ・・・・・・・・・・・・・・ くるものもあらう。桎梏 かなどのやうに面倒なものだと思 ・・・・・・・ とりなは・・・・・・・・・・・・・・・・・ ふものもあらう。縲絏かなどのやうに人を縛るものだと考ふ ・・・・・・・  ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ るものもあらう。さればこそ良知の学は天下に亡びて伝はら ○ ○ ○ ○ ○   ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ぬのである。さればこそ人は聖賢の域に達するを得ずして夢 ○ ○ ○ ○さかひ○うよ/\○さわがしく○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○   ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ 死酔生の場に蠢々と擾擾して居るのである。何と悲しむべき ○ ○ ○ ○ ○ では無いか。若し先覚者にして世に出づるあらば、此の憐む べく悲しむべき人々の有様を見ては、万死を犯しても、疾告 せざるを得ないであらうに、あゝ今の世に於ける先覚者は、      わし              あゝ 抑も誰ぞ。予はまだ其の人を見ぬを哀しむ。噫

                        伝習的道徳に囚はるゝことの愚を指摘し、自覚的生活の 必要なる所以を絶叫して真に痛快を極む。 (一)屋漏は室の西南隅の称である。転じて人なき隠微   の場所を指す。詩経に「爾の室にあるを見るに尚ほ   屋漏に恥ぢず」とある。暗き、隠れたる所にても其   の行を慎むこと。

『洗心洞箚記』
(本文)その184





































遽(にわか)に

駭(おどろ)いて
 


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