Я[大塩の乱 資料館]Я
2015.5.21

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『通俗洗心洞箚記』
その103

大塩中斎著 下中芳岳(1878-1961)訳

内外出版協会 1913

◇禁転載◇

下巻 (17)一七 天人合一

管理人註

口耳之虚、至 五臓方寸之虚、皆 是太虚之虚也。而 太虚之霊、尽萃乎 五臓方寸之虚。便 是仁義礼智之所家 焉也。其所家焉之 仁義礼智、即太虚 所循環之春夏秋 冬也焉耳。由是観 之、則仁義礼智与 春夏秋冬異而同。 故昔人曰。「人者天 也、天者人也。」夫 子所謂「天何言哉。 四時行焉、百物生焉。 天何言哉。」是将 天言人徳也。然則 曰天者人也人者天 也亦理乎。

 口耳の虚より五臓の虚に至るまで、皆是れ太虚の虚である。 而して太虚の霊なるもの、尽く五臓六腑の虚に萃る。便ち是       やど                  やが れ仁義礼智の家る所である。其の家る所の仁義礼智は、即て 太虚に於ては循環して止まざる春夏秋冬と同一本体である。 して見れば、人の徳たる仁義礼智と、天の徳たる春夏秋冬と は異なるが如くにて実は同じ処である。さればこそ古の人は        (一) 言ッて居る。『人は天である。天は人である』と。孔夫子の  (二)    ものい 『天何をか言はんや、四時行はれ百物生ず、天何をか言はん                   や』と言はれたのは、是は正しく天を将りて人徳の偉大なる を言はれたのである。此れより推して考へても、「天は人で ある、人は天である」、と言へる、亦頗る真理を道破したる ものと言はんければならぬ。

                        (一)人は小体の天にして、天は大体の人であるとは東   洋哲学に於て常に唱へ来れるところ、而して西洋哲   学に於ける大我小我の関係論と其の帰趣を一にする。          (二)論語にある名句、実行の徳を讃美したものである。

『洗心洞箚記』
(本文)その185


 


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