Я[大塩の乱 資料館]Я
2015.1.15

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『通俗洗心洞箚記』
その15

大塩中斎著 下中芳岳(1878-1961)訳

内外出版協会 1913

◇禁転載◇

上巻 (11) 一一 何の懼か之あらん

管理人註

湯之夏台、殷之 里、及文丞相之土 室、繹其所以皆 裕如晏如与平生異之道他。 其囹圄容身之虚 乃太虚之虚、而居 其宮室窓櫺之内 亦無以異、故不 狭又不陋、不憂 又不懼。是其裕 如晏如之所由然 也。而要在其心之虚也。  モシ 人如不吾心之 虚、則何往而不 広大、何居而不 安楽、而又何狭 陋之有、何憂懼 之為。

   (一)    (二)  湯の夏台や、殷の里やに囚はれ人となッた人達、及び宋  (三)            めしうど の文丞相やが、牢獄の土室の中に囚人の身となッて居ながら、    ゆうじよ           すこし 皆よく裕如たり晏如たること平生と些も異なる所の無かッた    たづ 道理を繹ねて見るに、別に不審な理由があッてでは無い。たゞ 太虚に帰るの修養が是等の人達にあッたが為である。彼等に        ひとや 取ッては、其の囹圄の中に身を容るゝの虚―空間―も矢張太 虚の虚であッて、太虚、換言すれば天と相呼吸する点に於て     (四)まど は、宮室の窓櫺の内と何等異なる所も無い。従ッて物質的に      むさくろ          ちつと こそ狭くも陋しくもあれ、精神的には些も狭く無い、陋しく        すこし やま     うしろ ない。我が心に些の疚しき所後めたき処もなきが故に憂ふる 所も無ければ懼ゝる所も無い。是れ即ち其の裕如たり晏如た り得る所以であッて、要は其の心の虚を失はぬといふ点にあ     もし る。人、如、己が心の虚を失ふなくば、往くとして広大なら                        らう ざるはなく、居るとして安楽ならざるは無い。何の陋、何の         うれひ    おそれ 狭かあらう。何の憂、何の懼かあらう。

    シヨペンハウエル曰く『意欲から離れて観念三昧に入れ ば、獄裡から見ても、宮殿から見ても、眺める月の光は かはりは無い』と。寔に、我から「我が」の妄執を解脱 し得れば、如何なる地にも安住し得る。仏家の言ふ妄執 の解脱は即て中斎の帰太虚である。 (一)夏台は湯の獄の名、こゝでは傑王の為に囚はれた   正義の臣伊尹の徒を指せるか。 (二)里は殷の獄の名、こゝでは、紂王の為に囚はれ   た正義の臣箕子比千の徒を指せるか。 (三)文丞相―土室に囚はれて正気の歌を賦した文天祥。 (四)櫺は音レイ。れんじまどの意。



『洗心洞箚記』
(本文)その12






































(まこと)
 


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