Я[大塩の乱 資料館]Я
2015.1.14

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『通俗洗心洞箚記』
その14

大塩中斎著 下中芳岳(1878-1961)訳

内外出版協会 1913

◇禁転載◇

上巻 (10) 一〇 気質を変化せよ

管理人註

常人方寸之虚、与 聖人方寸之虚同一 虚、而気質則清濁 昏明不年而 語也。猶如貧人 室中之虚、与貴人 室中之虚同一虚、 而四面牆壁、上下 屋牀、則美悪精粗 之不同也、而方 寸之虚者、便是太 虚之虚、而太虚之 虚、便是方寸之虚 也、本無二矣、畢 竟、気質牆壁之 也、故、人学而変 化気質、則与聖 人同者、宛然偏布 照耀焉、無包 涵、無貫徹。 鳴呼、不変化気質、 而従事于学者、其 所学将何事、可 陋矣。

    (一)  常人の方寸の虚も、聖人の方寸の虚も同一の虚である。而 も、気質にあッては、一は濁、一は清、一は昏、一は明、ま るで反対であッて、到底年を同じうして語ることは出来ぬ。 例を以て言へば、貧人の室中の虚も、貴人の室中の虚も、そ の虚たる点に於ては同一である。けれども、四面の牆壁、上 下の屋牀に至ッては、その美悪精粗、殆ど比較にもならぬ程 の差がある。聖人のも常人のも、方寸の虚は共に太虚の虚で          やが あり、太虚の虚は、即て聖人、常人を通じての方寸の虚であ る。本来、虚は唯一つ、決して二つは無い。故に気質が其の 牆壁となッて、聖人と常人との差が出来て居るのである。故 に、人は慎独克己の修養に依ッて其の牆壁たる気質を変化し さへすれば、聖人と同じ光が現はれて、偏布照耀、包涵せざ るなく、貫徹せざるなきに至るべきである。然るに、世には 我自らの気質変化せに意を用ひずして、而も学業に従事する の徒輩が尠なくない。斯の如きは抑も何の為の学問ぞ、陋と 謂ふべきである。

    学者の中には気質は変化することが出来ぬといふものも ある。気質といふ語の意味に於てはさうもいへる。けれ ども、中斎のいふ所の気質は、今の言葉で言へば、個性 に当る。個性には、先天的稟賦と後天的習慣との二方面 がある。先天的稟賦は根本的にかへることが出来ぬが、 其の善き方面は益々之を発達させ、悪しき方面は現はれ ぬやうに之を抑へることは教育、修養の力で出来る。又、 後天的習慣は、教育、修養の力で変化さすることの出来 るものである。此の意味より言へば、気質の変化といふ ことは、教育の要事であり、修養の目的である。中斎の 此の点に力を用ひたる故ありといふべきである。



『洗心洞箚記』
(本文)その11







牆壁
(しょうへき)

























冒頭の(一)に
ついての記述は
欠。
 


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