心不帰乎太虚則
必有物、有物而
謂不動者、便是
告子強制之道、而
非孟子之所云也。
孟子之不動、以
即太虚也。入火
不熱、入水不
濡、何況区区富貴
貧賤而足動之乎。
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ぐらつ
太虚に帰らぬ心は必ず物欲の為に動く。物欲あッてなほ動
(一) こぢつけ
かずといふは、便ち告子の強制の道である。決して孟子の謂
(二)
ふ所の不動の精神では無い。孟子の動かぬといふは、物に就
いて謂ふのでは無い、心に就いて謂ふのである。心が動かぬ
は、それが太虚であるからである。太虚に帰りたる心、それ
や
は、火に入ッても熱けず、水に入ッても濡れぬものである。
どう
況して、区区たる富貴貧賤の何して之を動かすことが出来
よう。
(一)告子は、詭弁を弄して屡々孟子に食ッてかゝッた
人である。そして、孟子をして、『天下の人を率ゐ
て仁義に禍するものは必ず子の言か』、と言はしめ
た人である。
(二)孟子の動かざるの心は言ふまでもなく浩然の気で
ある。浩然の気の太虚と同一物たるはこれが亦明で
ある。
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『洗心洞箚記』
(本文)その14
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