博識而叛 道、雄弁
而悖 理、則傷 風
害 俗、此少正卯所
以不 免乎孔子之誅
也。而至 春秋戦国
間 、不 知 少正卯
為 幾多 、以 唯無
一聖人 、各逞 其技 、
馳 其才 、駭 衆惑
愚、終開 李斯之残
暴 、而邪正倶 焉。
故李斯之大悪、赫
然乎宇宙 、雖 黄口
小児 、既能知 之。
其儒者之有 罪、誰
能知 之。如聖人而
居 於李斯之位 、則
必教 之令 改、教 之
而不 改者、則正 其
罪 焉。安比而虐 之
如 斯之残暴 哉。然
如 正卯 者、決不
能 免 誅也。鳴呼、
後輩徒知 語 往昔之
事 、而不 知 其身劫
為 正卯之学 者亦愚
也。故学者真立 志、
以行 道践 理、扶 風
正 俗、而一 助乎政
道 、則雖 虎狼 不 能
咥 之。而況人乎。杏
則亦殆乎哉。
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博識にして道に叛き、雄弁にして理に悖るものは、諄良の
きづつ そこな
風を傷け、敦厚の俗を害ふ。かの少正卯が、孔子の誅を免れ
得なんだ所以は主として此の点にある。而かも春秋戦国の世
に至ッては、第二の少正卯、第三の少正卯続出して、終には
世を挙げて少正卯たらんとして、而も一聖人すら出づるなく、
為に、人各々其の技を逞しくし、其の才を馳せ、衆を駭かせ、
あな
愚を惑はし、終には、李斯の残暴を開いて、邪正倶に せら
あきらか
ることゝなッた。斯くて、李斯の罪悪の大なる宇宙に赫然で
あッて、黄口小児と雖も、既に皆能く之を知る。而も、其の
にせられたる儒者にも、罪の赦すべからざるものありとは、
世人多くは之を知らぬ。けれども、当時の儒者の腐敗堕落は、
実は殆ど其の極に達して居た。故に若し、仮に聖人が李斯の
位に居たとしても、必ずや之を教へて改めしめたに違ひない。
又之を教へて改めなかッたならば、断々乎として其の其の罪
を正したに違ひない。尤も、李斯のやうな残暴は教へはしな
かッたには違ひないが、正卯の如き者は少なくとも誅を免れ
なんだに違ひない。然るを今の世の学者にして徒に往昔の事
を語るを知ッて、其の身、却ッて正卯の学を為しつゝあるを
知らざるものがある、其の愚や真に憐むべきでは無いか。さ
れば世の後進の学者よ、卿等は真に志を立てゝ道を行ひ、理
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を践み、風を扶け、俗を正すことを心がけよ。真に志を立てゝ
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道を行ひ、理を践み、風を扶け、俗を正し、以て政道の一助
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たらしめんには、虎狼と雖も之を咥む能はず、況して其の在
○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ しから○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○
上者の人なるをや。否ずして、道に叛きつゝ徒に博識を衒ひ、
理に悖りて、徒に雄弁を弄するが如くならば、たとひ上に聖
○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ あや ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○
者のありとも、いかでか殆ふからざるを得よう。
中斎先生、正を踏んで動かざらんとする斯の如き覚悟が
あッた。而も終に虎狼ならぬ人に咥まれざるを得なんだ。
先生、情激して狂したる為め、道を踏む能はざるに至ッ
たのか、抑も亦、虎狼に過ぎて暴悪なる人のあッたが為
めか。
(一)少正卯は魯の大夫、叛心あり、孔子之を誅したる
こと史に見ゆ。
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『洗心洞箚記』
(本文)その173
駭(おどろ)かせ
衒(てら)ひ
悖(もと)りて
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