Я[大塩の乱 資料館]Я
2015.5.14

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『通俗洗心洞箚記』
その96

大塩中斎著 下中芳岳(1878-1961)訳

内外出版協会 1913

◇禁転載◇

下巻 (10)一〇 風を傷け俗を害ふ

管理人註

博識而叛道、雄弁 而悖理、則傷風 害俗、此少正卯所 以不免乎孔子之誅 也。而至春秋戦国 間、不少正卯 為幾多、以唯無 一聖人、各逞其技、 馳其才、駭衆惑 愚、終開李斯之残 暴、而邪正倶焉。 故李斯之大悪、赫 然乎宇宙、雖黄口 小児、既能知之。 其儒者之有罪、誰 能知之。如聖人而 居於李斯之位、則 必教之令改、教之 而不改者、則正其 罪焉。安比而虐之 如斯之残暴哉。然 如正卯者、決不誅也。鳴呼、 後輩徒知往昔之 事、而不其身劫 為正卯之学者亦愚 也。故学者真立志、 以行道践理、扶風 正俗、而一助乎政 道、則雖虎狼之。而況人乎。杏 則亦殆乎哉。

 博識にして道に叛き、雄弁にして理に悖るものは、諄良の   きづつ           そこな 風を傷け、敦厚の俗を害ふ。かの少正卯が、孔子の誅を免れ 得なんだ所以は主として此の点にある。而かも春秋戦国の世 に至ッては、第二の少正卯、第三の少正卯続出して、終には 世を挙げて少正卯たらんとして、而も一聖人すら出づるなく、 為に、人各々其の技を逞しくし、其の才を馳せ、衆を駭かせ、                         あな 愚を惑はし、終には、李斯の残暴を開いて、邪正倶にせら                         あきらか ることゝなッた。斯くて、李斯の罪悪の大なる宇宙に赫然で あッて、黄口小児と雖も、既に皆能く之を知る。而も、其の にせられたる儒者にも、罪の赦すべからざるものありとは、 世人多くは之を知らぬ。けれども、当時の儒者の腐敗堕落は、 実は殆ど其の極に達して居た。故に若し、仮に聖人が李斯の 位に居たとしても、必ずや之を教へて改めしめたに違ひない。 又之を教へて改めなかッたならば、断々乎として其の其の罪 を正したに違ひない。尤も、李斯のやうな残暴は教へはしな かッたには違ひないが、正卯の如き者は少なくとも誅を免れ なんだに違ひない。然るを今の世の学者にして徒に往昔の事 を語るを知ッて、其の身、却ッて正卯の学を為しつゝあるを 知らざるものがある、其の愚や真に憐むべきでは無いか。さ れば世の後進の学者よ、卿等は真に志を立てゝ道を行ひ、理                       ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ を践み、風を扶け、俗を正すことを心がけよ。真に志を立てゝ ○ ○ ○ ○   ○ ○ ○ ○   ○ ○ ○ ○   ○ ○ ○ ○   ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ 道を行ひ、理を践み、風を扶け、俗を正し、以て政道の一助 ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○   ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○   ○ ○ ○ ○ ○ ○ たらしめんには、虎狼と雖も之を咥む能はず、況して其の在 ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○  しから○ ○ ○  ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ 上者の人なるをや。否ずして、道に叛きつゝ徒に博識を衒ひ、 理に悖りて、徒に雄弁を弄するが如くならば、たとひ上に聖 ○ ○ ○ ○ ○ ○   ○ ○ ○ ○ あや ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ 者のありとも、いかでか殆ふからざるを得よう。

    中斎先生、正を踏んで動かざらんとする斯の如き覚悟が あッた。而も終に虎狼ならぬ人に咥まれざるを得なんだ。 先生、情激して狂したる為め、道を踏む能はざるに至ッ たのか、抑も亦、虎狼に過ぎて暴悪なる人のあッたが為 めか。 (一)少正卯は魯の大夫、叛心あり、孔子之を誅したる   こと史に見ゆ。

『洗心洞箚記』
(本文)その173










駭(おどろ)かせ

















































衒(てら)ひ

悖(もと)りて
 


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