Я[大塩の乱 資料館]Я
2017.11.21

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「大塩の乱関係論文集」目次


「大塩平八郎を憶ふ」その1
白石重

『日本農村論』啓文社 1926 所収

◇禁転載◇

一 〔生い立ち〕          管理人註

 大塩平八郎は平凡の儒者にあらず、豪邁寄矯、公正廉直の士なり。彼れ名 は後素、字は子起、中斎と号す。寛政五年徳島藩家老稲田九郎兵衛の二男と して、阿波国美馬郡脇町に生る。幼にして母を喪ひ、後大阪天満寺の与力大 塩氏の養子となれり、平八郎時に年齢漸く七歳なりき。然るに其年養父母倶 に没しければ、彼は専ら養祖父政之丞に教養せられて生長せり。  大塩平八郎が幼時の記録に就きては、参照すべき文献の存せざるを遺憾と す。但だ彼れ幼にして已に慈母を失ひ、転じて他家の養子となり、其間少な からざる辛酸を嘗めたれば、自ら激烈峻刻の気象を鎔鋳せられたるは疑ふべ からざる所なり。彼れは幼にして文武を兼修し、功名気節を樹て、以て父祖 の志を継がんと欲し、予て江戸に赴き林述斎の門を叩き、儒学を講究したる が、其の行の方正にして刻苦精励なりしかば、其の学異常の進歩を来して、 常に儕輩を凌げり。平八郎は又学問の余暇を以て力を武術に注ぎ、刀槍弓銃 悉く其の技を修めき。就中槍術に至りてはよく其の秘奥を究めて並ぶもの絶 えてなく、後来関西第一の声名を博するに至れり。


幸田成友
『大塩平八郎』
その7





幸田成友
『大塩平八郎』
その9











幸田成友
『大塩平八郎』
その10
 


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