Я[大塩の乱 資料館]Я
1999.12.8/2003.9.1修正

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大塩の乱関係論文集目次


「大 塩 乱」その6

『大阪市史 第2巻』(大阪市 1914、1927再版)より

◇禁転載◇



改行を適宜加えています。

二、騒 乱(2)

>

城
代
土
井
利
位
両
町
奉
行


翻て城代定番の行動如何を見るに、城代土井利位は徒党既に乱を作し、天満方面盛に銃砲の音を伝ヘ、且つ猛火各所に起るを見、両町奉行及目付中川半左衛門同犬塚太郎左衛門に逮捕を命じ、打払切捨苦しからずとし、巳中刻玉造口定番遠藤胤統(タネノリ)○但馬守山里丸加番土井利忠○能登守中小屋加番井伊直経○右京亮青屋口加番米津政懿(マサヨシ) ○伊勢守雁木坂加番小笠原長武 ○信濃守東大番頭菅沼定志 ○織部正西大番頭北條氏喬 ○遠江守等を召し、告げて曰く、平八郎暴動を起し、火を所在に放てるを以て、町奉行及目付に之が鎮定を命じたり。


両
目
付
に
暴
徒
逮
捕
を
命
ず

城
内
の
警
戒

利位是より将に本丸を巡視せんとす。各位宜しく準備あるべしと。
当時玉造口定番米倉昌寿○丹後守未だ著任せざるを以て、京橋口定番玉造口をも統ベ、即ち両定番組与力同心全部を召集し、四加番は各々家臣を督し、又東西大番頭は組頭及番衆仝部を召集し、各々持場を固め、午ノ刻城代土井利位は定番加番を従ヘ、両大番頭の嚮導を以て本丸を巡檢し、具足奉行上田五兵衛鉄砲奉行石渡彦太夫に命じ、具足・鉄砲・及玉藥の配賦に従はしめ、酉ノ刻火災猛烈となるに及び、再び定番を従へて本丸を巡視せり。
而して両町奉行と共に暴徒鎮定の命を受けたる両目付中川半左衛門犬塚太郎左衛門は、両町奉行出兵後交々城内を巡視し、又数々城外に出でゝ現場を視察し、之を城代に報告せり。

    大番頭届書、目付届書、
 
両
町
奉
行
定
番
与
力

跡部良弼及堀利堅は城代より暴動鎮圧の命を受くるや、其事到底両組与力同心の力に及ばざるを察し、鉄砲奉行石渡彦太夫御手洗伊右衞門に通じ、其配下の同心を借り、銃火を以て之を鎮定せんとせしも、兵力猶乏しくして賊に当るに足らざるを慮り、定番遠藤胤統に交渉して組与力同心の来援を求めぬ。

同
心
の
援
を
求
む
玉
造
口
与
力

胤統之に応じ、公用入畑佐秋之助をして玉造口京橋口両組に令し、各々同心支配投一人・平与力二人・同心三十人を出し、与力は十匁筒、同心は三匁五分筒を携ヘ、東町奉行所の警固に赴かしむ。

同
心
の
赴
援
坂
本
鉉
之
助

玉造組にありては同心支配役坂本鉉之助自ら其任に当り、与力蒲生熊次郎本多為助二人を誘ひ、同僚岡翁助配下の同心十五人鉉之助配下の同心十五人を、玉造口門外土橋の側に集合せしめ、之を率ゐて先づ発し途に同心小頭二人を召集し、城濠に沿ひて東町奉行所に至れり。

 
東
町
奉
行
所
の
警
戒

是より先き跡部良弼使を馳せて鉉之助等の来援を促すこと三回、鉉之助等東町奉行所に到るに及び、西組与力近藤三右衛門東組与力朝岡助之丞等之に応接して、頻に大砲を持参せんことを請ひ、或は着込みを著せんことを注意せしかば、右様武辺不案内の人々と談ぜんより直に町奉行に面謁して事を決するに如かずと認めしが、さりとて彼等の請求も無下に斥け難く、熊次郎をして騎して玉造口に至り、百目筒を準備せしめ、鉉之助爲助は進んで良弼に謁し、或は樹木を伐採して射界を広くし、或は足代を設けて馳駆に便にしたり。

 
京
橋
口
与
力
同
心
の
怯
懦

之に反して京橋口同心支配広瀬次左衞門馬場佐十郎は畑佐秋之助の為に再三赴援を促されしも、衷心之を欲せず、鉉之助の許に至り、城門警衛の身にして城門を離れ、奉行所を警衛して、之に死するは犬死に等し、譜代同様の組にして町奉行の指揮に従ふは、組柄を辱むるものといふべく、定番の命と雖も、意に充たざれば之を争ふて可なりと説けり。次左衞門の意鉉之助を勧めて共に辞退せんといふにありしこと疑無し。故に鉉之助の応ぜざるを怒り、与力二人同心三十人を率ゐて再び東町奉行所門前に来りしが、組支配たる次左衛門は雪踏穿にて銃をすら携へざりき。

    咬菜秘記、玉造口与力同心働前明細書、
 
跡
部
良
弼
組
下
の
与
力
同
心
を
疑
ふ

平八郎の与党には東組与力同心多し、是を以て良弼組下の与力同心を信ずる能はず、鉉之助等の来援するに及びても、亦其中に平八郎の党あらんことを恐れ、暴徒との連絡を断たんと欲し、杣人足を遣して天神橋を切落さしめたり。
かゝる疑心あるを以て鉉之助為助交々出馬を促せども、逡巡して出でず。
堀利堅来りて城代の命を伝へ、共に出馬して暴徒を戡定せんと言ふに至り、漸く意を決し、自ら玉造組を従へて発し、京橋組をして留りて町奉行所を戍らしめんとす。
利堅は城代の命を良弼に伝へ、其出馬に先ちて東町奉行所を辞せしが、門前に京橋口定番与力同心の屯するを見、之を促して先頭たらしめ、島町を西に進み、御祓筋に至る頃、遥に暴徒の旌旗の高麗橋を西より東に進むを望見し、先頭の同心に令し、之を撃たしむ。

 
堀
利
堅
出
馬
す

堀利堅来りて城代の命を伝へ、共に出馬して暴徒を戡定せんと言ふに至り、漸く意を決し、自ら玉造の組を従へて発し、京橋組をして留りて町奉行所を戍らしめんとす。
利堅は城代の命を良弼に伝へ、其出馬に先ちて東町奉行所を辞せしが、門前に京橋口定番与力同心の屯するを見、之を促して先頭たらしめ、島町を西に進み、御祓筋に至る頃、遥に暴徒の旌旗の高麗橋を西より東に進むを望見し、先頭の同心に令し、之を撃たしむ。

 
利
堅
落
馬
し
て
一
隊
散
乱
す

其距離四町許、同心命に応じて銃を発するや、暴徒は距離の遠きと四辺の喧囂とに紛れ、知らずして過ぎ、独り利堅の馬驚き、其主地に墜ちたり。
同心之を見て敵の銃丸に中るものとし、四散して一人を留めず、利堅巳むを得ず御祓筋の町会所に入りて休憩し、次左衛門は同僚馬場左十郎と相伴つて東町奉行所に帰り、茫然として其門前に立てり。

    引用書同上
 


松尾美恵子「大坂加番の一年


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