Я[大塩の乱 資料館]Я
2013.4.6

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「大塩の乱関係論文集」目次


『民本主義の犠牲者大塩平八郎』

その112

相馬由也

開発社 1919

◇禁転載◇

十五、焚死の末路 (5) 管理人註
   

 平八郎の妾ユウ、格之助の妾ミネは、平八郎よりの伝言を忠兵衛より 受けたが、伝言の儘に自害するは易けれど、幼少のイク並に弓太郎の身 の落着を見届けた上で死にたいとの嘆願で、忠兵衛も流石に恩愛の情に ほだ 絆され、其意に従つて丹州路より京都へと逃れ、其処で捕縛となつた、 平八郎の家族全体の行衛は、是で皆明らかになつた。其他一味徒党の者 の行衛も次第に知れ、最も久しく忍んで居つた大井正一郎も、遂に四月 二日、京都で召捕になつたので、四月十日、江戸には左の御触が出た。  一、当二月十九日、不容易る企におよび、大阪市中所々放火いたし、  及乱妨候大塩平八郎、大塩格之助、並に荷担いたし候者共、行衛不  相知候付、其次第人相書を以て追々触渡置候、後平八郎父子、且瀬田  済之助、渡辺良左衛門、近藤梶五郎、庄司儀左衛門は召捕、又は自滅  等いたし候間、右之者共は相尋候に不及、大井正一郎、河合郷左衛門  は無油断相尋候様、猶又触置候処、正一郎も召捕候間、最早相尋候             いよ/\  に不及、右郷左衛門は 弥 無油断相尋、都て最前相触候通可被  心得候。 此中の郷左衛門とは、九郎右衛門の密訴状を持つて西町奉行の役宅に駈                         いづこ    たくみ 込んだ八十次郎の父の事だ、彼は其時出奔した限り、何処へか巧に姿を 潜めたらしい。刑の申渡は、大塩平八郎父子、瀬田済之助、小泉淵次郎、 渡辺良左衛門、庄司義左衛門、近藤梶五郎、大井正一郎、白井孝右衛門、 茨田郡次、高橋郎九右衛門、橋本忠兵衛、柏岡孫右衛門、同伝七、木村 司馬之助、横山文哉、宮脇志摩、深尾才次郎、西村利三郎、以上十七名 は塩詰の死骸、三郷引廻の上磔、但し利三郎は死体腐乱に付墳墓破壊、 美吉屋五郎兵衛、杉山三平、曾我岩蔵、植松周次、浅佶、松本隣太夫、 堀井儀三郎事仁三郎、大工作兵衛、猟師金助、無宿新兵衛、忠右衛門は 引廻の上獄門、上田孝太郎、白井儀次郎、卯兵衛は死罪、大西与五郎、 白井彦右衛門、平八郎妾ユウ、五郎兵衛妻ツネは遠島、安田図書、医師 寛輔、大蓮寺隠居正方は中追放、其他多少の関係者は殆ど尽く罪を得た。 此外に竹上万太郎といふ連盟者の一人で、十九日の当日、所持の鉄砲を                              はず 携へ、大塩邸に駈付乍ら、俄に臆病風に襲はれて変心し、其場を外して 我家に帰り、弓奉行上田五兵衛、鈴木次左衛門両名に宛てた訴状を認め、 懐中し乍ら所々迂路つきまはつた末に、同役吉田邦次郎に渡して其儘遁                      い げた者があつたが、それが磔に上げられた。活き身を槍で突かれたもの は、此者一人で、其他は自害か、左も無ければ、皆牢死であつたといふ、 返り忠が返り忠に立たず、妙な処で天の配剤を受けたものだ。


















「御触」(乱発生後)
その9


「御触」(乱発生後)
その7















相蘇一弘
「大塩の乱の
関係者一覧」
その1

茨田郡次

柏岡源右衛門


十九名
が正しい
 


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