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木村芥舟の笑鴎楼筆談中に収められた彦根藩の岡本黄石翁の話に「予
が少壮の時面会したる諸先輩の中、体貌俊偉にして、殊に立派なりしは、
渡辺崋山と大塩後素の二人なり、誰が見ても大国の藩老なるべしとの感
はづ
あらしむ、吾輩立ちて慚かしく思ふ程なり云々」、是は竹翁の「仲々美
ことば
男で御座りました」といふ語の裏書をするもので、それに間違ないと思
ふが、併し同じ黄石翁の談話に有るが如く、平八郎が彦根に往つた時、
ひ
黄石翁は彼を自邸に延いて兵書の講義を請うた所が、平八郎色を正しう
し、足下何の用あつて兵書の講義を望まるるや、僕には分らぬ、願はく
ば其説を聞かうと、席を促かし言ふので、翁も意外に感じ、御承知の如
く私の祖先は兵学を以て藩に仕へ、私も不肖ながら今大夫の班に列して
居るから、祖先の志を継ぎ、聊か国家に尽したいと思ふ迄の事であると
いつたら、平八郎は漸く顔色を和げ、兵は活物で、一二講論の尽すべき
所でない、御望ならば、予の家に孫子十解といふ珍書を持つて居るから、
なかば
これを御貸しやう、之を御熟読になつたら、思ひ半に過ぎるものが有ら
はげ
う、といつて辞し去つた。平八郎の最初の辞気の獅オさには、殆ど答に
も窮したといつて居るのを見れば、決して談話の間に春風自から芝蘭の
をんこ
香を送り来るといふ様な温乎たる所はなかつた人と想はれる。
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井上哲次郎
「大塩中斎」
その12
石崎東国
『大塩平八郎伝』
その73
温乎
おだやかなさま
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