Я[大塩の乱 資料館]Я
2012.12.2

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「大塩の乱関係論文集」目次


『民本主義の犠牲者大塩平八郎』

その39

相馬由也

開発社 1919

◇禁転載◇

五、洗心洞裏の平八郎 (6) 管理人註
   

 木村芥舟の笑鴎楼筆談中に収められた彦根藩の岡本黄石翁の話に「予 が少壮の時面会したる諸先輩の中、体貌俊偉にして、殊に立派なりしは、 渡辺崋山と大塩後素の二人なり、誰が見ても大国の藩老なるべしとの感           はづ あらしむ、吾輩立ちて慚かしく思ふ程なり云々」、是は竹翁の「仲々美             ことば 男で御座りました」といふ語の裏書をするもので、それに間違ないと思 ふが、併し同じ黄石翁の談話に有るが如く、平八郎が彦根に往つた時、           黄石翁は彼を自邸に延いて兵書の講義を請うた所が、平八郎色を正しう し、足下何の用あつて兵書の講義を望まるるや、僕には分らぬ、願はく ば其説を聞かうと、席を促かし言ふので、翁も意外に感じ、御承知の如 く私の祖先は兵学を以て藩に仕へ、私も不肖ながら今大夫の班に列して 居るから、祖先の志を継ぎ、聊か国家に尽したいと思ふ迄の事であると いつたら、平八郎は漸く顔色を和げ、兵は活物で、一二講論の尽すべき 所でない、御望ならば、予の家に孫子十解といふ珍書を持つて居るから、                       なかば これを御貸しやう、之を御熟読になつたら、思ひ半に過ぎるものが有ら                       はげ う、といつて辞し去つた。平八郎の最初の辞気の獅オさには、殆ど答に も窮したといつて居るのを見れば、決して談話の間に春風自から芝蘭の            をんこ 香を送り来るといふ様な温乎たる所はなかつた人と想はれる。


井上哲次郎
「大塩中斎」
その12






石崎東国
『大塩平八郎伝』
その73






















温乎
おだやかなさま


『民本主義の犠牲者大塩平八郎』目次/その38/その40

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