|
元禄八年の調査では、大阪及び大阪附近の寺院総数は、各宗各派を合
して四百弐拾弐ケ寺といふ事であつたが、一般民家と異なり、文化、文
政、天保の頃でも数の上に大なる変化は無かつたのであらう。随分沢山
おのづ
な数だ、それが如何様の事をして居るかといふに、方外の民は自から是
れ治外の民といつた様に心得、菩提の鹿呼べども来らず、煩悩の犬追へ
そゝ
ども去らずで、坊主頭を頭巾で隠しての色街遊び、滌ぎ洗濯に托して若
ねじ
い女を寺に引入れる、り鉢巻で酒を飲む、魚は食ふ、鳥は食ふ、かし
く寺と俗に呼ぶ北野の寺では、住持が加持祈祷の手管で美人を誘ひ来り、
ほしいまゝ ばら
狸を憑けて淫慾を恣にしたといふ始末、狸は怪しいが、今でも俗僧原に
より
する者のある憑祈祷に残り居る東洋流の催眠術でも施したものか、兎も
角淫慾の方だけは事実に相違無い。寛文五年の諸宗御條目の中にも「他
ミ モ リト ノ ニ カラ ヘ ク ヲ
人者勿論、親類之好雖有之、寺院坊舎女人不可抱置之云々」とあ
ぎやうさ
るに、是は扨何たる行作であるぞ、
そこで平八郎は、遂に高井山城守の命を受けて、彼等の汚行検挙を初
めたが、之を急にすれば繁刑に堪へぬので先づ再三触書を出して戒め、
まいす
而かも猶ほ改むることを知らぬ売主のみ数十名を捕へて、遠島に処した。
而して、大阪の僧風は是より全く一変したにしたといふ。平八郎よ由つ
て一烽火の挙る毎に、時人は皆驚嘆の声を放つたが、是に於て名声四方
に喧伝して、人々大塩平八郎を説かざるなく、此時風矯正の波動は、堺
しりぞ
より奈良、京都よも及んで、皆奸吏をけ、邪僧を誅するに至つたとい
ふ。平八郎の光栄ある吏務は、之を最後の幕とし、其年七月、高井山城
守の病老を以て致仕するに至り、平八郎も辞表を差出し、職を此時二十
歳の忰格之助に譲つて、退隠した。
|
幸田成友
『大塩平八郎』
その29
憑祈祷
人にとりついた
他のものの霊を
追い払うための
祈祷
「浮世の有様
僧侶取締布令 」
売主
売僧僧であり
ながら物品の
販売などをす
る堕落僧
|