Я[大塩の乱 資料館]Я
2012.12.28

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「大塩の乱関係論文集」目次


『民本主義の犠牲者大塩平八郎』

その60

相馬由也

開発社 1919

◇禁転載◇

八 所謂三大功績 (10) 管理人註
   

 元禄八年の調査では、大阪及び大阪附近の寺院総数は、各宗各派を合 して四百弐拾弐ケ寺といふ事であつたが、一般民家と異なり、文化、文 政、天保の頃でも数の上に大なる変化は無かつたのであらう。随分沢山                             おのづ な数だ、それが如何様の事をして居るかといふに、方外の民は自から是 れ治外の民といつた様に心得、菩提の鹿呼べども来らず、煩悩の犬追へ                        そゝ ども去らずで、坊主頭を頭巾で隠しての色街遊び、滌ぎ洗濯に托して若           ねじ い女を寺に引入れる、り鉢巻で酒を飲む、魚は食ふ、鳥は食ふ、かし く寺と俗に呼ぶ北野の寺では、住持が加持祈祷の手管で美人を誘ひ来り、         ほしいまゝ                    ばら 狸を憑けて淫慾を恣にしたといふ始末、狸は怪しいが、今でも俗僧原に       より する者のある憑祈祷に残り居る東洋流の催眠術でも施したものか、兎も 角淫慾の方だけは事実に相違無い。寛文五年の諸宗御條目の中にも「他          ミ モ リト    ノ  ニ    カラ ヘ ク ヲ 人者勿論、親類之好雖之、寺院坊舎女人不抱置之云々」とあ          ぎやうさ るに、是は扨何たる行作であるぞ、  そこで平八郎は、遂に高井山城守の命を受けて、彼等の汚行検挙を初 めたが、之を急にすれば繁刑に堪へぬので先づ再三触書を出して戒め、               まいす 而かも猶ほ改むることを知らぬ売主のみ数十名を捕へて、遠島に処した。 而して、大阪の僧風は是より全く一変したにしたといふ。平八郎よ由つ て一烽火の挙る毎に、時人は皆驚嘆の声を放つたが、是に於て名声四方 に喧伝して、人々大塩平八郎を説かざるなく、此時風矯正の波動は、堺                  しりぞ より奈良、京都よも及んで、皆奸吏をけ、邪僧を誅するに至つたとい ふ。平八郎の光栄ある吏務は、之を最後の幕とし、其年七月、高井山城 守の病老を以て致仕するに至り、平八郎も辞表を差出し、職を此時二十 歳の忰格之助に譲つて、退隠した。



幸田成友
『大塩平八郎』
 その29















憑祈祷
人にとりついた
他のものの霊を
追い払うための
祈祷







「浮世の有様
僧侶取締布令売主
売僧僧であり
ながら物品の
販売などをす
る堕落僧
 


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