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ひそか
平八郎退隠の動機に就いては江戸出仕の希望を抱いて、密に高井山城
守に謂ふ所ありし為だ、然るに其後山城守も冷淡になつて係り合はず、
あう/\ たのし け
彼は其為に居常怏々として楽まなかつたといふ様な怪しからぬ説を為す
びうまうし が
者もあるが、是は彼に好意を欠く敵側か何ぞの造説で、謬妄歯牙に値せ
ぬけれども、而かも四十の分別盛りといふには、まだ間が二つ有るとい
ク シ ル セ
ふ若い身空で隠居沙汰、山陽の文に「聞者無不驚愕」と有るのも無
あやし
理の無い話だ。そこで世間から大分怪んだものと見える。是れ抑も前述
の如き謬説に乗ぜられたものと想ふ。
現に平八郎の母方の叔父の浅井中倫の文にさへ「愚、甞て之を思惟す、
ご し も くわちう しより ご
吾子の祖先は本と華冑、而るに吾子は乃ち隷士胥吏と伍を為す、是れ其
きそく の
不満之意有つて然るか、抑も玉を抱いて下僚に沈み、驥足を展ぶる能は
の
ず、是を以て決然退隠し、書を著はし、志をべ、以て前賢と其趣を同
うするかと、然れども今佐藤氏に贈る所の書を看るに、吾子、志学の年
より志三変して、確然孔孟の道に帰し、富貴も淫せず、威武も屈する能
はざるの意あり、愚の量るが如きは、乃ち官情を以て之を量れるもの、
を
吾子の処るや、道徳を以て之に処る、是を以て此齟齬有り、而して吾子
しやうし ま
の尚志や益々顕る」とある位だから、況して彼に同情無くして反情ある
者の眼からは、一時色々に取沙汰されたらう、然らば真の動機は何であ
らうか。
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幸田成友
『大塩平八郎』
その49
『大塩平八郎』
その88
山田 準訳
『洗心洞箚記』
その27
胥吏
(しょり)
下級の役人
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