|
おも
平八郎が佐藤一斎に与ふる書に自ら語る所では、「意はざりき虚名州
かく
県に満たんとは、因つて思ふ、未だ実得有らずして虚名此の如し、是れ
いたづら
乃ち造物者の忌む所、故に決然仕を致して帰休せり、徒に人禍を恐れて
あらざる
然るに非る也」とあるが、此中「人禍を恐れて云々」の文字は記臆に値
する。兎に角「実得有らずして虚名云々」の口実は未だ以て胸中の真実
よ そ
を暴露したものではなく、幾らか謙遜な余所行きの口上らしい。平八郎
げん けい
は更に辞職の詩の序に「職は微賤なるも言聴かれ、計従はれ、大政に関
が と す
し、衙蠧を除き、民害を鋤き、僧風を規す、豈千歳の一遇に非ずや、而
るに公の進退、乃ち此の如し、義共に職を棄てて、以て隱を招かざるを
このはう
得ず」といつて居るが、此方は彼が其真実を半ば以上語つて居るもので、
表面よりいはんには、是れ以上は語り得ぬものであらうとも想ふが、彼
自ら其動機を語り居るものが前に示し置ける荻野四郎助に与へた書柬中
の「邪宗門吟味之節、京都同列之者とも兼て談候事有之義は難取失、
ごん おいとま
士之一言泰山磐石よりも重く、前以て御暇内願罷在候義も及御聞候通
にて云々」とある文に現はれて居るが、其内容は不明瞭であるけれども、
それに依ると、已に邪教徒検挙当時から、高井山城守と進退を共にする
覚悟を持つて内々親しい者の間に語つた事も有る様子、すれば我心は山
ちぎ ほぞ
城守に契つたもので、山城守以外には再び仕へまいとの心の臍を早く堅
めて居たものらしい。
|
幸田成友
『大塩平八郎』
その174
幸田成友
『大塩平八郎』
その172
衙蠧
汚職を行う
下級の役人
幸田成友
『大塩平八郎』
その181
|