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斯くも平八郎が挙兵の準備怠りなき間に、米価は益暴騰し、窮民は日
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に多きを加へたので、彼は尽く自己の蔵書を売払つて、六百余円を調達
し、其金を以て壱万軒に金一朱宛を施すことゝ定め、出入の書店四人の
周旋で二月上旬から施与に着手したが、当時人民に米銭を施す時には、
一応町奉行所に届出なければならぬ筈であるのに、其届出を怠つたとい
ふ理由で、跡部山城守から詰問があつて、平八郎は之に対して、自分は
隠居の身分故、別段御届にも及ぶまいと存じたがとて、其不注意を謝し、
且つ最早や今一日で終りますけれども、中止致しませうかと伺ひ出た。
施行米を町奉行の手で止めたとあつては、一般の聞えも悪く、跡部に取
つて不利益であり、其上其米銭調達の方法も分明である以上、左迄に咎
たて いづ
め立する訳もないから、其儀には及ばぬとて之を許したが、何くんぞ知
らん、此施与は決して単純な慈善心のみからで無く、其後も彼は自邸に
於て金銭を恵んで居たが、それには挙兵の暁に於ける彼等窮民の来援を
十分に期待して居たもので、一々天満に出火の節は、必ず駈付け呉れよ
と、厳重に申伝へて、金を渡したのであつた。
平八郎は、又穢多に目を付けた。大阪は南渡辺村其他に穢多部落が沢
はづ
山有るが、是等は特殊部落として取扱はれ、久しく人間並より外れて来
ひつせい のぞみ
て居たので、彼等の畢世の望としては、何とかして同じ人間の待遇が得
たいといふ事に在つた。平八郎は、以前に阪本鉄之助に向ひ、『智慧坊
こなた いまのよ
主親鸞は、此方の宗門は穢多でも差支なし、今世こそ穢多なれ、後世は
極楽浄土の仏にして遣はす、といつたので、彼等は難*有り、本願寺の
寄附金は穢多が一番多く出す、頼みにならぬ来世をいうてさへ是だから、
こんじやう
今生に人間並にしてやるといへば、彼等は一層難*有り、火にも水にも入
る。僕は平常其心得で彼等に不憫を加へてある』と語つたとやらいふが、
うち
それかあらぬか、彼は天保七年の冬に、其小頭を招き、村内の難渋者に
与へよとて金五十両を渡し、其者にも拵付の長脇差を与へて、且つ此辺
に火災が起つたら、穢多共を引連れ、必ず役所へ行かぬ先に、此方に来
て働いて呉れと約束した。
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幸田成友
『大塩平八郎』
その111
坂本鉉之助
「咬菜秘記」
その3
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