Я[大塩の乱 資料館]Я
2018.1.13

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「大塩の乱関係論文集」目次


『今古実録大塩平八郎伝記』

その2

栄泉社 1886

◇禁転載◇

                  たしな
 ○鈴鹿の山中に平八郎賊を窘む事

管理人註
  

さて           かね 偖も平八郎は、予ての願ひ相叶ひ、東都へ下り、学問修行なさばやと、心に                        もとより 歓び、父母に別れて、遥々と吾妻の空へ旅立ける、元来、初めての旅といひ、        み ち 急ぎて急がぬ途次なれば、また見る事は兎も角も、名にし負ふ東海道の名所    こゝかしこ 旧跡、此処彼処と見物なし、物憂旅もうち忘れ、いと眺めある心地して、一 人の僕を便りにて、悠々と道を歩み、急ぐともなくハヤ水口の駅に差掛りけ            つ れ る、然るに昼の程より同伴になりし一人の旅人あり、是も吾妻へ下る者とて、 もとより       あまた 元来東海道は数度往来せし由、平八郎にいと親しく噺しものし、始めてのお                         ねんごろ 旅とあれば御不案内ならんとて、此処彼処の旧地など懇切に教へなどして打  あるく           よきみちづれ         いた       みち つかれ 連歩行に、平八郎は好同伴得たりと、甚く歓び、途の労も打忘れ、興あるこ とに思ひて辿りけるに、其日もハヤ暮ければ、今宵は此処に同宿し、一ツ座        やが                  さら                   ゆき 敷に打臥しが、頓て鶏鳴暁を告ければ、然ばとばかり此宿を立出、行/\て 鈴鹿の山にさし掛りけり、 そも/\                  すまゐ 抑々この山は、其昔鬼賊の棲居して多くの人を悩ませしかば、田村将軍勅を うけ                               し じ 請て彼鬼賊を退治玉ひし旧跡なりとて、今に田村大明神と崇め祀りて、四時 の祭礼怠りなく、いと神さびし霊社あり、樹木森々として昼なほ暗く物凄き     こゝ                  おゝもち 山なり、爰へさし懸りし折ネ、伴ひし僕何やら済ぬ顔持にて主人平八郎に申       とく      た ち すやう、今朝疾彼宿を出立し節、粗忽にも風呂敷包みを失念せり、一走り往          かしこ て取来らん、君には彼処の峠を越て、前なる宿の立場にて待たまへ、忽ち追                 せわし 付申すべしとて、彼の旅人にも言葉慌忙く挨拶し、足速に跡なる宿へと引返 しける、平八郎は、彼の旅人と倶に峠の半腹に至りしに、かの旅人は、指さ            こなた して平八郎に言ける様、此方の道へ行く時は、聊か近道なり、旅馴玉はぬ人 々は、道を歩むに大いなる損の有るものなりとて、往還を横切て、彼の近道 へと這入けるに、平八郎も跡に附、悠々として歩み行しに、道なき所を分け               かたへ                     だい /\て頓て四五町も来りし頃、傍の松の木蔭より、雲突如き大の男が、一刀 横たへ顕れ出しを、平八郎は気も付ず、行過んとする程こそあれ、    つ れ             めくばせ 彼の同伴になりし旅人と注目しつゝ平八郎を呼留め、両人左右に立はだがり、 こわつぱ                              ふたり 小童、汝が着する処の衣類は勿論、懐中物大小までも残らず出し、我々両人         いな                   まなこ いか              たちまち に渡すべし、若又否まば息の根止ん、と大の眼を瞋らして、否と言ば忽地に                こなた             から/\ 一刀両断になさんず勢ひ、然れど這方は不敵の平八郎、是を聞より呵々と打          ことば             りよじん 笑ひ、少しも騒がず詞静に、扨は汝等、旅人と見せ、往来人を悩して、飽こ                                かたわれ と知らぬ山賊よなもし、然も有らばあれ、我とても両刀帯せし武士の片破、         あは          あたら        とく/\ 汝等ごとき手込に遇んや、若年者と侮つて可惜命を落さんより、疾々道を案      だいおんじやう 内せよ、と大音声に呼はりて、泰然自若と扣へたり、                     むきだ    こわつぱ 是を聞より両人の山賊、大ひに怒りて、目を剥出し、小童なりと侮りしに、      にく             いとま 今の大言聞悪し、然らば汝が望みに任せ、此世の暇、目に物見せんと、鷲の                 しつか 小鳥を捕へし如く、平八郎が胸倉を確乎と捕へて投んとする時、平八郎は驚                        ねぢあげ く体なく、其手を取よと見てけるうち、忽地グツと捻揚て引担ぎさま、遥の 谷へウンと言て打込だり、旅人と見せし一人の賊、是を見るより大きに驚き、 小童なりと心を落附、不覚を取しぞ残念なり、いで物見せん、といふより早 く、腰なる一刀引抜て、真二ツにと切込だり、                   かは 這方は平八、事ともせず心得たりと身を翻し、刀持手を拳を固め、勢ひ込で うち              あなた                  すか 擲ければ、刀は飛て那方へ飛散、其身も其処に伏たりけるを、透さず平八飛                さげを        くゝ   かたへ 懸り、腕捻揚て早速の捕縄、刀の下緒で確乎と縛り、傍の松の大木に縛り付                  こども       ひとうち しに、曲者は圧気に取られ胆を消し、小人と侮り、一討と思ひの外の力量早                  すむ            ごんく 業、這は人間にてはよもあらじ、此山に棲天狗ならんと、只呆れ果、言句も 出ず、夢かと斗り黙然たり、 そのとき        にらま                    ふるまひ 案下平八、彼賊を吃度白眼へ声高く、汝人界に生を得て、鬼畜に劣れる行為      いか     ゆる                はね をなすを、争で天の免し給はん、今其首を刎べきなれど、一命助け遣はせば、 今我云事を耳底に留め、今より悪念飜へし、良民となり、天命を永く此世に        なかま 保つべし、汝が党類の一人こそ、業因重く速かに、天誅来りて谷底の土とな      むくひ            よきいましめ              ゆめ るこそ悪の報応、是等を見ても其身に取、好誡の一ツとなすべし、努忘るゝ                   もとゞり             ふつ なと教訓して、落たる太刀を拾ひ取り、髻掴んで、根元より弗つと斬捨放ち 遣れば、其儘後をも見返らず、足速にこそ逃去けれ、 斯る処へ、以前の僕は、彼取落せし風呂敷包を取得て、道を急ぎ来り、主人    はた                 おはせ      つ れ 平八に礑と出会、今の今まで若旦那には此処に竚立しか、同伴の旅人は如何 せしと、怪しみなから問ければ、平八郎は、然あらぬ体にて、然ればなり、    つ れ   こゝら 彼の旅人は此辺近所に寄る処あり、又々先にて逢見えんと別れし儘に、只一                 さ き 人汝を見失ひもやせんと、此処に先刻より待居たりと語り出つゝ、其先なる 宿へとこそは急ぎけり、 のち                くはし        あやふき 後に至りて此事を僕に委く物語り、危険ことゝ話せしかば、僕は聞より舌を           ひたすらほめ 巻、平八郎が行ひを、只管賛て驚き恐れ、末ハ天晴なる人となり給はんも頼 母しく思ひけるこそ道理なれ


『天満水滸伝』
その3
 


『今古実録大塩平八郎伝記』目次/その1/その3

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